ナグナ翁
世間にはこんな言葉がある。「医者を見たら詐欺師と思え」だ。
現代において、医者という言葉はほぼ医師団の専売特許となっている。
この医師団というのがそれなりに曲者で、彼らの治療を受けたければ相当の金を積む必要があった。
例え富裕層に当たる者であっても、その過半数は身代を食い潰さねばならないほどの。
医師団が求める対価を軽々払える者など、恐らく世界中探しても片手の指にも満たないだろう。
その代わり、見返りは凄まじいものだ。
医師団の医師たちは数多の不治の病を快癒させ、切断された手足を繋げ、失明した目に光を宿し、一度絶息した者すら蘇らせ得ると聞く。医師団の技術とその他のそれは、完全に別物と言って良い。
それほどの格差が存在する。
重ねて言うが、医師団は対価を払えぬ者などまず相手にしない。
そして余程のことがなければ、本拠地たるトワドラから出ることすらない。
つまり、只人はその恩恵に浴すどころか、影すら垣間見ることが叶わないのだ。
そんな世間でわざわざ医者を名乗る者がいるとすれば、それはほぼ間違いなく詐欺師か妙ちきりんな妖術師の類だと、そういう意味の言葉である。
教団も含めて、あまりにも隔絶した技術力故に、医師団を忌避する者も少なくない。
治療時に何かを体に仕込まれたとしても、察知することも対処することも叶わないからだ。
医師団が拡張し勢力を伸ばした経緯を思えば、それは決して無駄な杞憂などではない。
そういう背景で、多くの人にとって医療とは、誰にでもできるような民間療法が主体であった。
とは言え人体を知悉しているだとか、薬草の調合の名人だとか、そうした意味の専門家がいないわけではない。
だがそういう者が医者と名乗ることはまずない。
医師団の水準を求められても困るし、詐欺師と同類に見られるのは更に困るからだ。
往々にしてそうした者は、医者ではなく薬師と名乗る。
聖都におけるシノレの師、ナグナ翁もその一人であった。
「してシノレ、宴はどうだったのじゃ?」
「どうもこうも。良く分からず流されるままで気づいたら終わってた感じ?」
そう問いかけるナグナに、すり鉢から目を離さず答えた。
今のシノレは頭と口に布を巻き、袖を捲り上げた格好だった。
手を動かす度、ごりごりという音が響く。
地道に磨り潰す内、段々薬草の形が無くなってくる。




