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ヴェンリル家の女主人

奥に設けられたヴェンリルの邸宅前に馬車が止まった時には、すっかり月が昇っていた。

山から流れ落ちる冷たい空気を胸一杯に吸い、一気に吐き出す。

白い霧が漂い、夜風に棚引いて消えていった。

もう冬も深まり、頭上には激しいほどの星明かりが瞬いている。


それを見上げて、リゼルドはらしくもなく穏やかな笑みを浮かべた。

一応無事に今日が終わり、主役を勤め上げた。

特段楽しくもなかったが、達成感は中々のものだ。

それは表面だけなら無邪気と言って良いほどの表情だった。


「…………さーて、どう転ぶかなあ」


最低限の布石は打ち終わった。

流石に疲労はあるが、足取りは軽い。

玄関までの道を歩きながらさっさと髪を解く。

何時間もの間固く編まれていた黒髪は癖も残さず、扇状に風に散って夜の色に溶けた。

弾むような足取りで進む後から、無言の影が続く。

屋敷に戻った彼を出迎えたのは、数人の侍女を引き連れた貴婦人だった。


「お帰りなさい、リゼルド」

「ああ、待っててくれたんだ。ただいま~」

「当然です。我が子の記念すべき日を祝わぬ母がおりましょうか」


耳に馴染んだその声に微笑む。

細く震える、掻き毟るような不安を呼び起こす声だ。

その声に、背後の幾人かの体が強張る気配を感じる。

無論それを気に掛けるリゼルドではないし、貴婦人に至っては気づきさえしなかった。

彼女にとってはこの場で息子以外の存在など、有象無象の如きものだ。

愛おしげに息子だけを見つめ、息子だけに言葉をかける。

微笑み返すリゼルドだけが玄関に踏み入って歩み寄り、後の者たちは当然のように寒空の下に放置された。


暗闇がふと揺れ、音もなく人影が進み出てくる。

黒いヴェールに覆われて顔も肌も殆ど見えず、僅かに覗く白い顎と零れる銀の髪の色だけが鮮やかだ。

彼女はリゼルドの姿をとっくりと見つめ、幸福そうに吐息を漏らす。


枢機卿に叙され、名実ともに使徒家当主となった我が子を、彼女は殆ど恍惚とした様子で見つめる。


先程召し替えた枢機卿の装束、特に上衣はより華やかなものに変わっていた。

基調となる色が白であることは変わらないが、階級が上がる毎に装飾が増えるなどの変化がある。

枢機卿の更に上である教主はワーレン一族しかなれない以上、リゼルドの位はこれで打ち止めだ。

あんなかったるい儀式とも暫くはおさらばというわけである。

そう思えばこの重たい服装も悪くない。


「……本当に、なんて立派な姿でしょう。

これで私もやっと、夫と先祖に顔向けができる思いです」


そんな息子の心情も知らず、噛み締めるように貴婦人は呟く。

その痩身に纏うのは純白の法衣ではなく、華やかなドレスでもなく、影に溶け込むような物寂しい喪服であった。

ヴェンリル家の女主人である彼女は、今も尚亡夫の喪に服している。

今日の儀式にさえ、憚って参列しなかったほどだ。

生前はあれほどに噛み合わなかったというのに、夫婦の繋がりとは全く摩訶不思議なものである――いや、あれはあれで寧ろ噛み合っていたのかもなどとリゼルドは思う。

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