ヴェンリル家のルーク
先程、見たばかりの顔だった。
リゼルドの傍にいた、ラーデンではない方――紅の少女を睨み、毒見をさせられていたという男だ。
彼は不愉快そうにする老女にも退く気配を見せず、寧ろ冷ややかに睨み返す。
気付けば周囲は皆、冷え冷えとした視線をこちらに向けている。
当然だ。
あれほど目立つ聖者が長々と絡まれていて、気取られないわけがない。
「今ならば間に合います。
周囲も見過ごして下さることでしょう。
……ですが、いくら宴席でも、それ以上は目溢しされませんよ。
……分かったら、聖者様の御手を離しなさい」
言葉は丁重ながら、怜悧な視線が浴びせられる。
それにやや頭が冷えたか、熱に浮かされたような目に危機感が浮かぶ。
老女は聖者から離れ、一歩下がった。
「…………失礼。少し頭を冷やしてきます。……酔いが回っていたようです」
「ええ、そうしなさい」
明らかに酔ってはいなかったが、とにかくそういうことになったらしい。
足早に、老女が遠ざかっていく。
男はそれを注意深く見送っていたが、完全に人波に消えたところでこちらに向き直った。
「大丈夫ですか、聖者様」
「……はい。お助け頂きありがとうございます」
「聖者様のお目を汚してしまい、教徒の端くれとして恥ずかしい限りです。
こうした席にあのような者が出入りするなど……二度とかようなことが置きぬよう、上へ報告をしなければ……」
「いえ。私は、何も被害を受けてはおりませんから……。どうか穏便に……」
聖者はそれに、慌てたように口を挟む。男はそれに目を見開き、「お優しいのですね」と返した。
先程は良く見えなかったが、その顔が随分と端麗なものであることにシノレは気づく。
髪は黒黒と深く、瞳は青の混ざった暗い紫をしている。
線の一つずつが作り込まれたように整い、命ある彫刻を思わせる。
見続ければ狂乱を来しそうな、いっそ怖いほどの美貌である。
教団に引き入れられてからというもの、端正な人間は山程見てきたが、一目でたじろぐような美貌はやはりそこまでいない。
隙がなく、研ぎ澄まされた、強靭な刃物の輝きを思わせた。
男は睫毛を伏せ、そのまま頭を下げた。
「……先程は、当主様が申し訳ございませんでした。
聖者様に対して大変な非礼を……
当主様はああ仰っていますが、どうか無理はなさらずに。
私にできることは多くありませんが、何かございましたら何なりとお申し付け下さい」
「……ありがとうございます。
この御礼は後程させて下さい。……
失礼ですが、御名前をお聞かせ頂けますか」
「……ヴェンリル家のルークと申します。
ウルレア様もお戻りになるようですので、どうぞお気を取り直して宴をお楽しみ下さい。
……またお会いするかも知れませんが、どうぞお見知り置きを」
男はそれだけ言い残し、するりと立ち去っていった。




