カドラス家の騎士
「……助かりました。ウルレア様、フラベル様」
声が聞こえない場所まで離れた辺りで、一度足を止める。
聖者ははあっと、緊張を吐き出すように謝辞を述べた。
それにウルレアは気まずそうに返す。
「あまり味方できなくてごめんなさい……」
「いいえ、あれで良いのです。
……いて下さるだけで、本当に心強かったですから」
「聖者様もお疲れ様です。
まあグレーデ殿は、ああいう人ですから。
あまりお気になさりませぬよう」
表情だけは神妙にそんなやり取りを聞きながら、シノレは先程のやり取りを反芻していた。
成程、ワーレンの夫妻がついてきたのには確かに意味があった。
彼らがいなければ多分、挨拶どころか近寄ることもできなかっただろう。
幾ら聖者を嫌っていようと、主家の貴人の前では滅多なことは口走れない。
その主家が聖者を重んじているとなれば尚更だ。
ここで重要なのは、あくまで見ているだけに徹するということだ。
あそこで下手に聖者を庇ったり、口を挟めば益々溝は深まる。
短時間で見て取れたグレーデの性格からして、他者に説き伏せられたところで頑なになるだけだろう。
何も言わずただ傍にいてくれることがあの場合は最適解だった。
とは言え、まだまだ後がつかえている。
さっさと切り替えなければならない。
次に控えるのがカドラス、セヴレイル、ベルンフォードの三家である。
この三家は当主たちが一処に固まりつつ、それぞれに社交を行っていた。
ここから大分距離はあるものの、笑い声がここまで聞こえてくる。
この聖都で特に力のある者たち、それとの繋がりを狙う者たちが、品良く押し合い圧し合いしている。
あそこへ切り込むのは骨が折れそうだと、早くもうんざりしてくる。
聖者も一度目を閉じ、意を決したように歩き出そうとする。
その時、覚えのない声が響いた。
「おや。これは、聖者様。
ウルレア様にフラベル様までお揃いで」
それは涼やかな女性の声だった。
聖者はそれに、驚いたように肩を揺らす。
視線の先にいたのは、背が高い金髪の女性だった。
この場の女性としては珍しいことに、その装いはドレスではなく、男と同じ意匠の白装束のままだ。
鮮やかな金髪も簡素にまとめており、飾り気はまるでない。
身のこなしはぶれがなく、武芸を修めていると分かる。
淀んだ辺りの空気にも揺らがないような、凛とした佇まいであった。
「シオン様……」
「シオンとお呼び下さいと、何度も申しておりますのに」
女性は少し顔を曇らせる。
だがすぐに、明るい笑みを浮かべた。
「またこうしてお会いできて嬉しゅうございます、聖者様。
お変わりなくお美しい」
「……その節は、ご迷惑をおかけしました」
迷惑なんてとんでもない、と否定した後、女性はシノレに視線を向ける。
それを感じてか、聖者が口早に説明をした。
「彼がシノレです。
その、私が勇者として取り立てた者ですので、この場を借りてご挨拶をと……」
「ああ、君が噂の……そうなのですね。
初めまして、カドラス家のシオンです。
騎士として教団に仕える者であり、一時ですが聖者様の護衛を務めておりました」
すぐにシノレに目を移し、歯切れの良い口調で名乗る。
少し驚いた。
使徒家に限らず、教徒と言うのはこちらが名乗るまで名乗らないか、何なら名乗っても名乗らないのが珍しくなかったからだ。
元々カドラスは陰険な気質の家ではないが、その中でも随分と砕けている。
そんなシノレの驚きも他所に、シオンは「どうぞ」と優美な仕草で手を差し出す。
聖者は戸惑ったように視線を揺らした。
「当主様へのご挨拶にいらしたのでしょう?
良ければまた以前のように、ご案内させて頂けませんか?」
「………………」
聖者はそろりと目を逸らし、助けを求めるように辺りを見回した。
視線を向けられたフラベルは髭を撫でつけ、ウルレアも「良いんじゃない?」と笑っている。
最後にシノレを見やり、恐る恐るという風に右手を乗せた。
「……ありがとうございます。お願いしても、宜しいでしょうか」
「ええ、喜んで」
そう言って笑ったシオンの誘導は、実際巧みなものだった。
寄り添うように優しく促され、辺りに犇めく人の多さは殆ど気にならない。
奥へ進むほどに人々の身なりも、シノレにもそれと分かるほど華やかなものとなっていく。
特に婦人たちの色とりどりのドレスが舞う様が花の群れのようだった。
その中で、とりわけ鮮やかな紅の色彩が、ふと目に留まった。
その刹那、高く鈴を鳴らすような笑い声が響く。
つい目を向ける。そこにいたのは、この場でも一層派手な、目立つ集団であった。
中心に佇むのは、遠目にも艶やかな美貌の少女だ。
これまた華やかな青年たちに取り巻かれ、笑いさざめいている。
楽しげな様子ではあるが、その周りには不自然な空白があり、それがやけに気になった。
(何か……周りに避けられている?どうして……)
だがそれもすぐに視界から失せ、違和感について考えるどころではなくなる。
人波を潜り抜け、次々と人々の顔が流れていく。
そうして人集りをするすると抜け、何の問題もなく目的地に辿り着いた。
「ありがとうございます。……助かりました」
「いいえ。またいつでも、御力になれることがあればお呼び下さい。では」
女騎士は涼やかな笑顔を残し、またするりと人波の中に去っていく。
後に残った一行は、すぐに相手に向き直った。




