叙階
その日のシルバエルの大神殿は、いつにも増して荘厳な威容を湛えていた。
辺り中、白く光を反射する様が目に痛いほどだ。
教団に来るまでは、最も激しい色は赤だとシノレは思っていた。
けれど違った。
この大神殿に初めて立ち入った時、一切の不浄を焼き尽くすような白さに、最も苛烈な色が何かを教えられたものだ。
直視すれば目を潰す太陽の色が何であるかを思い出せば、自明のことである。
集う誰もが密やかに息を潜めて祭壇を見守り、その全てが白の装束を纏っていた。
階級によってそれぞれ、形や装飾の多寡などの差異はあるものの、ここにいること自体が教団では大きな意味を持つ。
今この場に集うのは教団の特権階級、使徒家に属する者たちだった。
その特権階級たちは誰もが大なり小なり、そわそわと身構えている節があった。
無論誰も声には出さないが、考えていることはおおよそ見当がついた。
ここに来るまでに聞こえてきた囁きを思い出す。
『大丈夫ですかな、銃の乱射やら、そこまでしなくとも爆竹くらいは仕掛けてくるのでは』
『まさか、流石のあれでも猊下のお膝元を汚すような真似は……』
居並ぶ者たちが考えていることも、それらの危惧と大差はないだろう。
シノレは聖者の掛けた椅子の後ろに控え、そうした場の緊張を感じていた。
聖者は先程から姿勢良く座ったまま、彫像にでもなったかのように動かない。
手掛に広がる袖が光を受けて、白い椅子に殆ど溶け込んで見える。
それを見るともなしに見つめる。
そこからやや離れた場所に座っているのはワーレンとヴェンリルを除く、各使徒家の当主たちだった。
六人全員が、白を基調とした装束、それも絢爛に飾り立てた枢機卿の身なりをしている。
話題の的となっている本日の主役、叙階によって枢機卿に任じられるのは誰あろうリゼルド=ヴェンリルであった。
悪い冗談のようだが、ヴェンリルの現当主たるリゼルドもまた、本来枢機卿に名を連ねる存在なのである。
継承から五年を経た現在も、然るべき手順と儀式を受けておらず、延ばしに延ばした儀式、それが遂に行われる。
その流れは昨日も確認した通りだ。
そしてシノレも、今後のための後ろ盾、それに当たる家を見つけなければならないのだ。
公的な行事に参加するのは初めてなので、披露目の場にもなるだろう。
それについては全く気分が乗らないものの、シノレなりにこれは好機だと捉えていた。
(とにかく、情報だ。それがなきゃ何にもならない)
この半年間は勉強漬けで、教育係以外と禄に関わることもなかった。
だがこれからは、他の者と接する機会も良かれ悪しかれ増えることだろう。
とにかく多くの者から、できるだけ情報を得たい。
それでこそ、脱走の目も増えるというものだ。
実はそれもまだ諦めていなかった。
前回は完全に駄目元だったが、次こそは確実を期して決行したいものだ。
そんな思惑はともかくとして、先程からどうにも気になることがある。
「………………」
(うわあ、見られてる)
時折目配せしあい、無言で会話しているような当主たちから距離を置き、さながら監視するような目を向けてくる者がいる。
混じり気のない黒髪が特徴的なその男は、ザーリア―家の当主であった。
その研ぎ澄まされた視線はお世辞にも友好的とは言えなかった。
何と言っても使徒家の中で最も聖者に懐疑的なのがザーリア―だ。
もっと言えば、不審や疑義を抱いていると言っても良い。
純白の大神殿に座す、聖寵の光が人の姿を取ったかの如き聖者の姿は、当然のように注目の的であった。
ザーリア―家以外は粛々と構え、あからさまに視線を送ってくることはないが、やはり代わる代わる注視されているのが分かる。
多くは崇拝や畏敬であるが、その中に忍ばせるような猜疑や敵意の匂いも感じる。
それはシノレには、あまりにも危うく感じられた。
(……不可解だからだ。
聖者がこうまで、人ならぬほどの荘重な麗質を放つ、その根拠が見えないからだ)
この崇敬が何かの切っ掛けで反転すれば、凄まじい憎悪と変じて牙を向く気がしてならない。
――聖者にはそれ以外、身を守る何物も無いというのに。
シノレにも分かるのだから、視線を注がれている当人が気づいていないはずがない。
それなのに聖者は視線すら動かさず、静かに座っている。
不意に、聳え立ったパイプが震え、荘重な音色を奏でる。
大神殿と一体化したような巨大なオルガ――今に残る、旧文明の技術の結晶の一つだ。
特別な儀式にしか奏でられないその楽器の音が鳴り響いた。
ぴたりと辺りが静まり返り、それまでに輪をかけて痛いほどの沈黙が満ちた。
重々しい気配とともに大扉が開き、ようやく儀式の進行を担う教徒たちが、そして案内人に付き添われたリゼルドが姿を現した。




