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三家の当主

その日教主は、日が傾いた後急な訪問を受けていた。

幾つもの小さな明かりを灯した応接間に乗り込んできたのは、カドラス、セヴレイル、ベルンフォードの当主たちである。

この三家は前身が騎士団の名家であり、教団初期の基盤を築いたこともあって、使徒家の中でも特に影響力を持っていた。


そんな彼らがわざわざ教主を訪ねてまで俎上に載せたのは、ヴェンリル家当主リゼルドについてだった。

色々とくだくだしく並べてはいたが、要するにかの少年を同じ使徒家の長として認めかねるとのことだった。

特に強硬に主張していたセヴレイルの方へ顔を向け、探るように見つめる。


「……レイグ。三年前の件について、さぞ腹に据えかねていることと思います。

ですがリゼルドもようやく成年に達したばかり、長い目で見てやってはやれませんか」


途端に滅相もない、と否定を返したのは、極淡い金髪に灰色がかった紫の瞳の青年だ。

若々しく怜悧な美貌とそれに引けを取らない涼しい声で、この場にはいない相手への弾劾を並べる。


「私への侮辱などはどうでも宜しいのです。

私はただただ猊下と教団の安寧のみを思っております。

故に、猊下に不遜を働くような者を認めるわけには参りません」

「如何にも。成年に達したというのであれば尚の事です。

精神的に未熟とあっては、教徒の模範としての振る舞いに不安を感じます」

「…………まあ、どうでしょうな。

叙階の儀式の成り行きを見ませんことには、何とも」


セヴレイル家当主レイグはリゼルドとの確執を、主君への非礼を咎めるという建前で覆い隠し、教団の中枢から排斥しようとしていた。

カドラス家当主であるルファルも同調し、生真面目な表情で不安と不審を訴える。


唯一人、ベルンフォード家当主ウィザールだけは困ったような曖昧な笑みを浮かべている。

この中で最年長である彼は、リゼルドについて、良かれ悪しかれ言及したことがない中立の立場だ。

今回も、代々親しく付き合っているセヴレイルに付き合わされたのであろう。

完璧な身なりをした壮年の紳士の、飴色の髪が淡く光っていた。


それぞれの顔を観察しながら教主は茶器を手に取り、一口含む。

穏やかな声が辺りを揺らす。


「……それではどうすると言うのです。

まさかリゼルドに当主を継がせないわけにもいかないでしょう。

唯一の嫡子であるのは勿論ですが、日頃の素行がどうあれ確たる戦果を上げているのです。

内部の、特にヴェンリルの反発は免れません」

「無論そこまでのことは望みません。

ただ相応の態度を示して貰えれば良いのです。

同じ猊下の使徒と呼ぶに足る礼節を備えているとあれば、我らも安心できるのですが」


なるほど。つまりは卑屈に頭を下げさせ、自分たちの下に置きたい。

周囲にもそれを誇示したいということか。

また面倒なことを持ちかけてきたものだ。

いっそ叙階すらさせたくないというのが彼らの本音だろう。

階級が低いままであれば誰の目にも明確に、自分たちの下であると示せるのだから。


休戦しているにも関わらず、この半年リゼルドがシルバエルに近づかなかったのも、そうした横槍があったのではないかと教主は考えている。

リゼルドからすれば地位だの権威だの、まして家門や子孫への影響など何の興味もないことだろう。

だがそれでは教主が困るのだ。

使徒家は八家、その全てが十全に機能してこその教団。

他ならぬ教祖がそう定めたのだから。


立板に流すように並べ立てたレイグを見つめ返し、次いで一同に視線を向けた。


「皆の危惧は受け止めました。

私も、使徒家の結束を望む心は同じです。

……ですがリゼルドが、妙に此方の水に馴染んで温くなっても、それはそれで困りものではありませんか?」


その言葉に、使徒家の面々も思わず言葉に詰まる。

教団とて何も無意味にヴェンリル家を擁しているわけではない。

何かと問題の多い彼らだが、楽団に対してはこの上なく頼もしい防壁であるのだ。

元より精強な戦力であるが、殊に楽団相手の争いでは、同じく武力を担うカドラス家でも比肩できないほどの功績を上げている。


未だに拠点ドールガでは、楽団の悪習と悦楽に耽るかの家。

教団の秩序において異端とさえ言えるほどの悪徳、不調法に不品行が彼らの代名詞だ。

しかし同胞たる教徒に害をなさず、勝利という結果を出す限り、それらは必要悪として許容される。

餓狼の如き楽団から自領を守るためには、ヴェンリル家の力はどうしても必要であった。


それは教団の誰もが分かっていることだ。

下手に排斥すれば、結果的に自分の首を絞めることになる。

しかしだからといって、あんな悪魔憑きの狂犬が誉れ高き使徒家として自分たちと並び立つなど虫酸が走る。

それが彼らの、主にレイグの主張であった。

その機微を、教主も解さないわけではない。

すぐに「とはいえ、」と続け、飴色の髪の壮年の当主に目をやった。


「リゼルドには確かに手綱が必要でしょう。

ついてはウィザール、子息の力を借り受けたいのですが」

「無論、何事も猊下の仰せのままに。

倅は二人おりますが、長男のことと思って宜しいですかな?」

「ええ、頼みます」

「猊下の御指名とあらば、倅も喜びましょう。

そうでなくとも、昔からあれはリゼルド殿を大層気に入っておりますからなあ」


その言葉に隣のレイグは、苦虫を噛み潰した顔をした。


「――猊下。お従弟とは言えど、あまりあれをお庇いなさるのは如何なものかと。

神聖不可侵たるべき猊下の声望を思うにつけ、案じられてなりません。

猊下はまだお若くいらっしゃるのですから、どうか周囲の進言をお聞き届け下さい。

私はただただ、教団の未来と安寧を思っているのです」

「ええ、有難うございます。無論皆を頼りにしていますよ」


教主は穏やかに微笑みつつ、当たり障りなく返事をする。

そんな空気にそろりと目を流したウィザールが、仲裁するように口を開いた。


「……もう暗い。

倅にもよくよく言い含めねばなりませんし、そろそろお暇致しましょうか。

全てはリゼルド殿の叙階を終えてからということで……それで宜しいですね?」


その呼びかけにルファルが同意し、遅れてレイグも倣う。

やがて客人が退出した後には、部屋の主が一人残される。

いつしか辺りは暗くなり、夜の気配が漂っていた。

取り残された教主は空中に儚く揺れる小さな灯を見つめ、ぽつりと呟いた。


「困ったものですね。もう貴族と羊飼いではないというのに」


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