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夢の中

 リゼルドにその報告が届く数日前のことだ。北部の都市ルアードに残ったラーデンは、仮眠中に過去の夢を見た。


『――……薬草が足りなくなりました』


 極上の水晶杯の中で氷が奏でる音のような、美しく冷たく高慢な声。あの日母とともに呼び出された先で、リシカは彼らを見もせずにそう言った。本邸の一室で、窓から見える空は春とは思えないほど重い陰りに沈んでいた。


 それは九年前の魔の月の風景だった。あの頃は外だけでなく、屋敷の中にも魔性がいた。


『折しもフィランドンで質の良いものが余っているそうです。ですからラーデン、お前が調達しに行きなさい。急げば七日で帰ってこられるでしょう』


 その名指しに、幼いラーデンは肩を強張らせた。どうして良いか分からず、咄嗟に声が出なかった。


 名の上がったそこはシュデース家の領地であり、聖都からは遠く、楽団に近い物流拠点の一つだった。それは必要に迫られてもいない、ただ理不尽な要求だった。当時の家の状況から、薬草は充分すぎるほど備蓄があったのだ。わざわざ危険を冒して調達しに行く必要などどこにもなかった。しかも行ったとしても、今は相手方も魔の月でそれどころではないだろう。リシカの要請とあらば邪険にはされないだろうが、迷惑になるだけと思われた。


『行くのか行かぬのか、どうなのです』


 けれどあの頃の家内は、そんな理屈が罷り通る状況ではなかった。空気が重く濁り、固く張り詰める。貴婦人は殺気すら孕んだ目で彼ら母子を見つめ、血のように赤い唇から呪うように吐き捨てた。


『…………あの子は、リゼルドは、いつ容態が変わるかも分からぬというのに…………お前には嫡子のために、この家のために身を捧げる覚悟もないというのですか?それでは何のために存在するのです?下賤の庶子が……』


 言葉を継ぐほどに凍てつくそれに、物理的に背筋が凍りそうな感じがした。少なからず浴びてきた、赫怒の予兆を感じ取った。それを遮るように動いたのは隣りにいた母だった。彼女は深々と頭を下げ、答えた。


『承知致しました、奥様。すぐに支度をさせます』

『…………はい』


 そんな短い言葉を吐き出すのが精一杯だった。その時彼は、とても恐ろしかった。壁の外に出れば、魔獣が跋扈しているという。本当に七日で足りるのか――いや、帰って来られるかすら定かではない。魔の月の最中で、治安は平時の比ではなく悪化している。どんな目に遭うか分からない。


 けれどこうなった以上、これは自分がしなければならないことなのだ。幼い彼はそう自分に言い聞かせ、母に促されるまま震えそうになる足を動かした。転びでもしたら、何を言われるか分からなかったからだ。


 けれど退出して、母が彼を連れて向かった先は衣装室でも玄関でもなく、慣れ親しんだ自室だった。母は微笑を浮かべ、彼の頭を撫でた。『さっきは偉かったわ』と、労りに満ちた仕草だった。


『……ここにいなさい。決して部屋から出ず、人にも極力会わないこと。何も心配しなくていいから、全て母に任せなさい』

『ですが、母上……』

『大丈夫よ。……レアナを守ってあげてね』


 結局ラーデンは、聖都はおろか屋敷から出る必要もなかった。彼はただ部屋に籠もり、屋敷の緊迫感に怯える妹を宥めていれば良かった。そして丁度七日後、母が持ってきた薬草を――方方尋ねて頭を下げて、秘密裏に入手してきたのだろうそれを、畏まってリシカの前に持っていけば良かったのだ。そうしたところで、あの頃の何が好転するわけもなかったが、それ以上かの人の怒りを買わないためにはそれしかなかった。


 それは、聖者が教団に迎えられる少し前のことだった。



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