聖者の助言
社交に苦労しているエルクに、聖者が語りかけます。
聖者の言葉により、自分がとても無理していたことに気づいたようです。
聖者は少し迷ったようだったが、意を決したように口を開いた。
「……最近、度々思っていたことですが……エルク様は、誰にでも同調しているようでいて、実質、何も言っておられませんね」
エルクはそれに瞠目し、そして目を伏せた。
驚いたわけでも怒ったわけでもない。
ただ一瞬だけ、真顔になった。
「……失礼でしたら、お詫びします。
ただ、最近のご様子を見ていて、そう感じたのです」
「…………はい。否定はできません」
「……素晴らしいご趣味、ご家族を大切になさっている、皆様のおかげで日々が充実している……この辺りの定型句、今日だけでもう十回は言っておいでですよね?」
「そこまで数えられては、誤魔化しはできませんね……」
エルクは静かに認めるしか無かった。
対して、追及を始めた聖者の顔に悪意はない。
至って生真面目で、そして若干の憂いを帯びていた。
「……エルク様のお立場としては、それで正解でしょう。
猊下にご迷惑をおかけしたくないというのも、当然のことだと思います。
ただ私は……そこまでご自分のことを隠さなくても良いのではと、そう思いました」
エルクはそれに即答せず、数歩引いて水際に近づく。
一旦、落ち着いて考えたかった。
(……自分のこと……)
聖者は動かず、急かすこともなく、静かに佇んでいた。
きっとここで話を打ち切っても、何も無かったように振る舞うのだろうと思えた。
妙な動揺と心拍の上昇を感じながら、エルクは半ば無理矢理口を開く。
「僕が、無理に気持ちを隠しているということですか?
……聖者様から見て、そこまで危なかっしい有様だったのでしょうか」
「……はい。エルク様がどう思ったのか、何を見ていたのか。
……隙を見せまいとして、ご自分の心をどこか置き去りにしてませんか?
確かに、それが必要な時もあるでしょう。
けれどずっとそうでは、気力は長続きしません」
何かが、胸に刺さったようだった。
エルクは鳶色の目を開く。
眼前でさらさらと、水流が流れ落ちていく。
細かな飛沫が冷感を与え、ゆっくりと思考が整っていった。
「……確かに、猊下に迷惑をかけないようにと。
そればかりを考えて……教えられた型をこなすことで精一杯でした」
(……でも、それは思考停止だったのかも、しれない。
誰のための社交なのか、自分が何を見てるのか、分からないまま話し続けてたら──それは、ただの台本になる)
「……聖者様。僕は……」
エルクは少しの間、言葉を探して沈黙した。
ここまで率直に、立ち入ったことを言われたのは初めてだった。
けれど、それが嫌ではない。
「……もしも、僕が僕として何かを言ったなら。
それがワーレン家の言葉として記録され、重く扱われてしまう。
だから、波紋を起こさない水面でいようと思ったのです。
聖者様から見て、それは間違いなのでしょうか」
「いいえ、決して間違ってはおられません。
ですが、それでも……水の底に誰かがいるということを、少しくらいは見せてもいいと思うのです。
与えられた型をなぞるあまり、心を置き去りにしてしまうよりは。
人々が見上げるものはワーレン家の虚像だとしても……エルク様がそこにおられることも、確かなのですから」
その言葉は、妙に真情が込められているように感じた。
エルクは戸惑いながらも、聖者を見つめる。
「……ありがとうございます。聖者様とお話できて、よかった」
「そのことも、誰かに言ってあげてください。それこそ、シノレにでも」
その結論は、聖者の期待から大きく外れたものではなかったようだ。
緊張の面持ちだった聖者は、息を吐いて、ほんの僅かに微笑んだのだった。




