マーレンの街
舞台はマーレンの街に移ります。
教団の中でも楽団に近く、戦禍の緊張が高まる街。
そこをベルンフォード家の長男ウィリスが歩く目的は…
「はあー。最近はどこに行っても空気が張り詰めているなあ……」
ベルンフォード家の長男ウィリスは、お忍びでマーレンの街をそぞろ歩きしていた。
マーレンは楽団から見ると、フィアレス側を背にした立地だ。
孤立したベウガン地方とシアレットの中間辺りで、セラキスとも近い。
ベウガン地方が崩れたら、ここを主要拠点として防戦することになる公算が高い。
いつ楽団に侵略されるか分からないベウガンほどではないが、緊張に晒されている危険地帯であった。
今の彼は地味な服を着て、顔も大きな帽子で半分ほど隠している。
そんな変装が功を奏してか、日頃の浮世離れした雰囲気はやや落ち着き、そこそこの家の道楽者に見えるくらいになっていた。
大っぴらではないが護衛も連れた彼は市街を歩き、それとなく周囲を観察する。
どこからか、香辛料とともに肉の焼ける匂いが漂っていた。
「…………」
「ウィリス様…………」
「……あー分かってる、そんな目で見るな」
側近が何か言う前に、苦笑交じりに返す。
普段であれば、馴染みの薄い土地に来たなら、その地の名物や風物詩など聞きながら買い食いに興じるのだが。
ここに来る前、側近たちに泣きながら止められたので今回は断念した。
大の男が何人も、この世の終わりとばかりに泣きながら翻意を迫ってくるのは、中々の迫力であった。
ウィリスもそれを前に折れるしかなかった。
実際、彼らの言い分は正しい。
情勢不安定な今、安全と言い切れない土地でうかうか食べ歩きなどすべきではない。
しかし残念である。北の滋味も素晴らしいが、南の豊潤さも目を見張るものがある。
どこにもその地の良さがあり、手っ取り早くそれを知るにはご当地料理が一番なのだ。
落ち着いたらまた来よう。そして食い倒れをしようと心に決める。
その時は誰か、友人を連れてきても良いかも知れない。
(一度、リゼルドの奴と食べ歩きしてみたいんだが、屋台は多分難しいな。
あいつは食に関しては神経質だからなあ……極端と言えばそうだが、過去の件を思えば無理強いもできん……)
かぐわしい食べ物の匂いを振り払うためにも、彼は考えを巡らす。
「……まだ時間はあるな。相手と話をする前に、この辺りのことをもう少し知っておきたい。
あちらもこの状況に苦心しているだろうからな」
「…………改革派の者に、そうもお気遣いなさるのですか」
「当然だろう」
今回のウィリスの役割は、この地の視察と顔つなぎばかりではない。
教団が揺れている今暗躍する可能性のある改革派、その慰撫と調停だ。




