リヴィアの苦悩
リヴィアは屋敷の重苦しい空気を逃れ、城下にやってきます。
彼女は親戚の醜聞のため、婚約者ブライアンとの結婚が危ぶまれているのです。
(第281話 萎縮する令嬢(https://ncode.syosetu.com/n7123ji/281))
最近は家のどこへ行っても、空気が重苦しい。
リヴィアにとっても、鬱々とした気持ちから中々抜け出せない日々が続いていた。
用事をつけて家から出てきたは良いが、顔見知りに会ってしまえば更に酷い思いをすることになる。
そんな危惧から彼女は、屋敷から離れた城下の外れをうろついていた。
「はあ……」
ため息を付いて取り出したのは、母から譲り受けた香水瓶だ。
手慣れた仕草で、それを手首の内側に一吹きした。
慣れ親しんだ香りが立ち上り、少し心が落ち着く。
「お嬢様……」
親戚の醜聞で価値が傷ついたとは言え、リヴィアは令嬢だ。
たった一人で外を出歩くわけもなく、後ろからついてくる目付役の女性が心配そうな顔をした。
「大丈夫です、すぐに戻りますから」
無理矢理笑みを取り繕う。酷い顔なのは自分でも分かった。
淑女教育の場ならきっと落第を出されたことだろうが、相手は痛ましそうに目を伏せただけだった。
(…………厳しくされるより嫌なことがあるだなんて、幼い頃は思いもしなかったわ)
己を取り巻く全てが一変した。
当然のものと信じていた世界が、ここまで脆いものだなんて思いもしなかった。
以前は親しげに話しかけてきた令嬢たちも、リヴィアと話すのを避けるようになった。
目が合ってもふっと逸らされる。話しかけて、第三者に同じ穴の狢だと思われることを恐れているのだろう。
他にも座る席が、以前より後ろになったり、目立たない場所に追いやられたり、同じ場所にいたくないと遠回しに言われたり。
けれどそんなことは、大したことではないのだ。
何よりも彼女の心を磨り減らすのは、家の中の雰囲気だ。
母や叔母たちは焦燥して、常に神経を尖らせている。
「婚約破棄されなかっただけまだましだろう」
「くれぐれもブライアン様のご機嫌を損ねないように」
「少しでも隙を見せたら貴女の結婚だってどうなるかわからない」
事あるごとにそう言い含められ、時にはヒステリックに喚き散らされる。
自分たちの焦りを紛らわせるためにも、彼女たちはそうせざるを得ない。
父や兄弟を始めとする男性陣の顔も、日に日に険しくなる一方だ。
彼らは「お前たち女のせいで家の名が傷ついたのだ」
「娘の教育が不完全だったのは女たち、特に母親の問題だろう」と苛立ちを隠さない。
再興のために、不本意な縁談を受けるよう強要される従姉妹たちの泣き声を何度も聞いた。
或いは、完全に諦めをつけて、「私はもう結婚できないから、せめて貴女は失敗しないでね」と語った者もいた。
……これら一連の苦境は彼女のみならず、一族全体を確実に疲弊させていた。
この際誇りを捨ててでも、何かしら有効な、現実的な手を打つべきなのかもしれない。
先祖から受け継いだ大切な家が、これ以上零落することだけはあってはならない。
焦りばかりが膨れ上がって、循環せず淀んでいくようだった。
それは彼女だけでなく、きっと誰もがそうだった。
だが、陰鬱な気分で歩いていた足が、いきなり止まった。
「あれは……」
ユミル様。そう唇が動く。どうしてあんな高貴な方が、このようなところにいらっしゃるのだろうか。
不思議に思い、聞こえてくる話に耳を傾けるリヴィアの目が、段々と見開かれていった。




