クライドの策略
舞台はシアレットからやや離れた都市、セラキスの城塞に移ります。
騎士団のクライドはマルセロの命を受け、教団に滞在し、その内情を探ります。
故郷サフォリアと、教団の仇敵たるロスフィークは、現在交戦の最中である。
一進一退、勝ち負けして、何かある度クライドのもとへも報せが届く。
遠い南で、今もじりじりと進んでいるだろうそれらは、所詮まやかしに過ぎないと知っていた。
決定的な勝敗をつけず、時間を稼いで、そして――
(…………兵が、民が、そのためだけに死のうと、仕方のないことだ)
とうに騎士団は滅びの道に入っている。
ここで動かなければ、一切が腐り落ちていくだけだ。
全てが動き出せば、この命もまたその波濤の前に木っ端のように散らされるだろう。
クライドはそれで構わないと思っていた。
マルセロは嘆くだろうが、しかしあの人は本人が思うほど柔ではない。
何とでもするだろうし、己の死を無駄にはしないだろう。
彼がいる場所はシアレットからやや離れた都市、セラキスの城塞だ。
彼はここで限りなく丁重に、そして慎重に扱われている、そんな感触がある。
政情不安定なベウガン地方は駄目だ。
当初の予定地だったエルフェスの件は立ち消えた。
シアレットへ行かせて、大公家の姫と対面させてもどんな反応が起こるか分からない。
北側の地方は距離的に難しい。
更に加えれば、ある程度守りが堅く、地盤が整った場所でないといけない。
あれこれと勘案した末、結局ここが彼の宿場となったわけだ。
そして出迎えた者たちの対応も、微妙に張り詰めたものだった。
何しろ相手が騎士団の貴族だ。
野放しにすれば、何をされるか知れたものではない。
かといって、まさか拘束して監禁するわけにもいかない。
曲がりなりにもクライドは、同盟の軛として寄越された人質なのだ。
扱いを間違えれば全てが崩壊する。
教団側もまた、これらの案配に苦心しているというのは、当事者である彼にも重々伝わっていた。
立場も忘れて同情しそうになることも、ないではない。
けれど、そのような感慨に足を取られる余裕がないのも確かだった。
幾つもの伝手を辿って、秘密裏に届けられた手紙を、彼は余人から死角となる位置で処分する。
(……そもそもとして教団の教義と現状には、埋めがたい溝と乖離がある……)
旧文明を堕落と蔑みながら、何故その技術の遺産であるシルバエルを拠点とする?
魔獣を憎悪しながら、何故魔晶石には価値を見出す?
平時はそんなこと、誰も気にもとめはしない。
聖都シルバエルは絶対的な聖性を誇る教団の中心地であり、そもそも魔晶石なんてもの、目に映ることもなければ意識する機会もないからだ。
どれほど盤石、堅固に見えようとも、人が集まる集合体である以上隙は必ずある。
それは人々が不安を覚えた時、たやすく浮上する。
不安定な人間を見つけ、それとなく情報を引き出す、もしくは誘導する。
それがクライドにマルセロが与えた務めだった。
誰もが憚って口にはしない。
それならば彼は、深く深く埋まっていたその種を掘り起こし、水を注ぐだけだ。
生まれた時から染み込まされてきた教えが絶対であるほど、それが揺らいだ時の衝撃は計り知れない。
誰にも気を許さずに、彼はただ、来たるべき時のために沈思する。
それも全ては生き残るため、そして家に尽くすためである。




