行儀見習い
シノレは助けた少女から話しかけられます。
少女はクレドア家のセシル。
絡まれていた少女テレサとの関係を語り出します。
「…………あの」
しかし、声を掛けられて、反射的に振り返る。
そこで佇んでいるのは、セシルと呼ばれていた方の令嬢だ。
てっきり一緒に立ち去ったと思っていたが、まだ残っていたらしい。
「勇者様でいらっしゃいますよね。
先程お耳に入っていたかもしれませんが……
改めまして、クレドアの娘セシルでございます」
涼やかな緑色のドレスを纏い、明るい金髪は緩く巻いて垂らしてある。
小柄な令嬢は優雅にドレスを広げ、膝を折った。
社交界では何度も見かけた仕草だが、その中でも完成度が高い所作だと感じた。
隅々まで神経が行き届いている、とでもいうのだろうか。
「月初めには父が聖者様より望外のお言葉を頂き、一族郎党栄誉に身も震える思いでございました。
どうか勇者様からも、聖者様にお礼をお伝え下さいますよう」
「あ、はい。分かりました……」
一瞬何のことを言われているのか分からなかったが、すぐに「ああ、あの時のことか」と思い出した。
それにしてもこの声……やはり、似ていると感じる。
シノレは目を伏せ、先程露台下で聞いた声を反芻した。
目を開けると相手が怪訝そうにこちらを見ていたので、取り繕うように質問を投げた。
「……先程のことですが、あのテレサという方と何かあったのでしょうか?
絡まれていたように見えましたが……ああいうことは、以前から?」
「……テレサ様のお家には、以前行儀見習いとして出向したことがあるのです。それ故のことですわ」
「行儀見習い?」
聞き返したシノレに、セシルは丁寧に説明した。
曰く、良家の子女は年頃になると、格上の家に奉公に行くのだという。
「……勇者様は、行儀見習いという言葉にどのような印象をお持ちになりますか?」
「え……いえ、分かりませんが、やはり行儀作法を習ったり、女性方のお話相手をしたりとか、そういうことでしょうか」
「いいえ。それもないではないですが、建前に過ぎません。
行儀見習いの本質は、実践的な社交術を学び将来に備えることにあります」
行儀見習いと言うと何やら優しげな響きだが、その実態は優雅なお茶汲みやのどかな講習などでは断じてない。
そこで行われるのは本格的に社交界に出る前の前哨戦であり、諜報・交渉・策略の実地訓練だ。
「見習いたちは奉公に出た屋敷で、使用人の立場からその家の人間関係や政略を目の当たりにすることになります。
その家の人間関係や実情がどのようなものか、そして自分の場合にどう活かせるか――見習い先では、生きた人間関係と社交術を見聞きします。
ここで本物の戦略と駆け引きを学び、自分の結婚や人生設計における参考資料とするのです」




