考試
「…………」
聖堂を出たシノレは表情を消し、立ったまま少し物思いに耽った。
木々が風にざわざわと揺れ、見るともなく見ている内に視界の端に絢爛な白装束が映り込む。
「シノレ!」
呼ばれて顔を上げる。向こうから歩いてくるのは、見慣れた教育係の姿だった。
「よく戻ったな。叙階までもう時間がない、これまでの総浚いにかかるぞ。
ザーリアーの家名にかけて、資格の足りない者を司教にするわけにはいかぬ」
「……はい」
相変わらずぶれないというか、一徹だ。
何となく気が抜ける。
頷くと教育係は目でついてくるよう促し、踵を返した。
何気なく上を見上げる。
数日間血の赤ばっかり見てきたので、空の青さが目に染みた。
(…………逃げようかと、思ったんだけどな)
隙を伺うつもりが、色々ありすぎて何もかも有耶無耶になってしまった。
前を歩く教育係の装束が、明るい日差しに翻っている。
シノレは軽く肩を竦め、無言でその後をついていった。
「…………おい」
「はい」
暫く歩いた後、いきなり響いたその声に顔を上げる。
前を歩く教育係に注意を向け、次の言葉を待った。
「質問をする。貴様がこの半年無為に過ごしていたのでなければ、正しく答えられるはずだ」
「はい。師範、いつでもどうぞ」
どうやら教育係は時間を活用することにしたらしい。
今日は次から次へと何かについて問われる日だ。
まあエレラフに行かされたのが想定外の珍事だったので、元の予定に戻っただけかもしれないが。
遠い目をするシノレに構わず、歩きながらの口頭試問が始まった。
「教祖ワーレンがカトラ山で教徒に言い渡したことは?」
「創成の戒律、即ちワーレン教における根底的な禁則事項です。
禁じられた事柄は他の神を仰ぐこと、奢侈、姦通、同性愛、偽証、食人、異教徒との婚姻、イラシア系の薬物です」
主に、発足したばかりの教団内部の秩序と結束のために必要なことが簡潔に纏められている。
他の神を持たないのは一神教故に当然として、奢侈・偽証の禁止は身を慎み互いに支え合う上で重要なことである。
食人とイラシア系薬物による中毒は、当時楽団領に蔓延っていた悪習であるし、薬物関連は医師団とも無関係ではない。
この禁止事項のために以後の教団は、楽団は当然のこととして、医師団とも一定の距離を保つ組織となった。
また姦通・同性愛・異教徒との婚姻禁止は血筋によって教徒を結束させるという教祖の方針が垣間見える。
神の定めた戒律という建前こそ神秘的に聞こえるが、当時の情勢を加味して考えればかなり実利的な内容だ。
(勇者だの言われて、取り込まれてさえいなければ。
単なる知識としてなら面白いんだけどなあ……)
教育係は、何やら考え込むような、探るような声で問いを続けた。
「……続ける。エレラフが滅びたるは何故か?」
ああ、それを言わせたいのかと、失笑したくなるのを咄嗟に堪えた。
そんな反射はともかく、口は教徒の模範解答を滑らかに紡ぎ出す。
「堕した都市と民を救済する術は、それ以外に無いためです。
騎士団の凋落と堕落は未だ留まるところを知らず、異教徒の蔓延るかの地は猊下の御名によって制圧されなければなりません」
エレラフがかつては騎士団領だった、というのは既述であるが、かの都市が騎士たちによって守られることはなかった。
教団によって制された後はともかく、その前も。
騎士団は今でこそこうだが、昔はその勢力も規模も大陸随一であったのだ。
その名の如く大公を戴く騎士の集団であり、その歴史は大崩壊以前の公国にすら遡る。
幾度となく大型の魔獣を屠ってきた伝説を持ち、四大勢力でも別格の歴史を誇る勢力だ。
昔はそれこそ、今よりも激しかった魔獣の脅威から人々を守護し、混迷に落ちた大陸を主導する一大勢力であったという。
しかし、必衰と言うべきか。時勢もあるのだろう。
騎士団は数百年の間に徐々に弱り、その規模を縮小させていった。
更に大公家の跡目争いや内紛で弱体化していき、教団の台頭とシルバエルの領有争いに敗北したことが決定打となった。
その結果が今のこの、楽団と教団に良いように攻め立てられ、好き勝手に縄張りを削り取られている現状だ。
「現在の騎士団には、誉れ高き騎士の名も実も存在しません。
歴史が長いために柵も多く抱え、内紛の疲弊により人も物資も不足していました。
その上他勢力とまで抗争すれば人員が更に減る。
人が減れば生産が減り、そうなれば更に弱る。
そんな悪循環に嵌ってしまっているのが現状です。
そうなればもう、傘下の土地を守ってやるどころではなく……そんな騎士団が苦し紛れに取った方策が棄民政策です。
価値の薄い土地と人々を捨てて延命を図り、貧しき者に重い負担を課し、大公家と貴族は奢侈に耽り、各所では異教徒が跋扈している。これが現状です」
それでエレラフは見捨てられ、教団に迎合することもできなかった。
その時点で最早詰んでいたとも言える。
魔獣から人々を守り、日常を守護する誉れ高き騎士たちと讃えられた栄光は最早過去のものだ。
聖騎士ドーレンクも緑竜を屠った七騎士も、そして遂に魔獣を最果てに封じた『黎明』も、既に地上に存在しない。
ただ、その形骸を、心臓たる大公家を守るために、騎士団は閉塞的に排他的になる一方だ。
現在の騎士団領には、身元の証明と住民の口添えが無ければ入ることさえ叶わない。
教団も騎士団のことは言えないが。
人間でいうところの、血は争えないというやつか。
騎士団は教団の母体とも言えるのだから。
「二百年前に騎士団を追放された教祖ワーレンは、驚異的な求心力と統率力で同じく追放された者たちを纏め、楽団やら野盗が彼らを食い荒らすことを許しませんでした。
そして騎士団に未だ残り続ける異教徒を救済するよう命じました。
結果として十二代目猊下の御代、このシルバエルでも浄化と粛清がなされました。
それは今も続いており、エレラフもその一環と捉えることができます」
教祖ワーレンは二百年前に棄民された者たちを糾合して教団を創り上げた。
当時は魔獣の恐怖に怯え、支配者に見放されて途方に暮れる烏合の衆であっただろうに。
教団は色々あれだが、これだけは素直に凄いと思う。
獲物を前にした楽団の恐ろしさはよく知っているから、よく凌いで渡り合ったものだと思う。
四勢力で最も歴史の古い騎士団はそれこそ、大崩壊以前の文化を伝える代表格である。
伝統的な多神教も伝えられており、そうした意味でも教団と相容れなかった。
教団としても、その成立背景には騎士団の弱体化とそれによって見捨てられ苦難に陥った者たちの受難がある。
それがシルバエルを奪われたことで衰退を決定づけられ、今や領土を削られているというのだから皮肉なものだ。
教団の拡張の経緯と歴史において、騎士団との因縁は決して軽いものではない。
「…………」
教育係はそれきり沈黙した。




