兄の重圧
それからまたごねようとしたバルタザールを何とか追い出して、一人になれたバルジールは長く息を吐きだした。
目が霞み、肩が重い。
机に向き合っていたからではない。
兄への疲労と呆れと――認めたくはないが、彼から受けた重圧によるものだ。
自然と他者を竦ませ、従わせる支配者の気配とでも言うべきものが、今も空気中に残っている気がする。
多くいる兄の中でも、バルタザールは彼にとって特殊な存在だった。
すぐに執務を再開する気にもなれず、宙を見つめてぼんやりと呟く。
「…………兄さんには、分からないでしょうね」
――初めてバルタザールと会った日のことは、鮮明に覚えている。
あの頃は、まだ自分のことも両親のことも、未来に何が待ち受けているかもよく知らなかった。
幼い彼は庭にいて、門の方向から誰かが歩いてきたのだった。
だれ、とバルジールは幼い声で問うた。
現れたのは未だ幼さの抜けきらない、どこかで見覚えのあるような面差しの青年。
今思えば、自分に似ていたのだから当然だった。
彼は幼いバルジールを見て、まるで失った宝物を見つけた子どものように、無邪気に顔を綻ばせたのだ。
それがバルタザールだった。
昔から何かと話に聞かされ、比べられてきた兄だった。
彼のことを色々と知った今となっては、その表情がどれだけ貴重なものだったかが分かる。
口ぶりは饒舌でも顔の表情に乏しいバルタザールだが、彼の前では比較的良く笑う。
それ自体、測りかねることではあったが、取り立てて追及すべきことでもない。
もっと重要なことがバルジールにはある。
幼い頃から、天才との呼び声高かった兄。
バルジールは常にバルタザールの弟として見られ、その影に沈められてきた。
それにずっと複雑な思いを抱いていた。
熾烈を極めた最初期の潰し合い。
そこでバルジールは殆ど攻撃されることがなかった。
無論、他に脅威が多くあり彼自身の優先度が低かったこともあるだろう。
だが、それがバルタザールを意識してのことでもあると、彼は敏感に察していた。
いづれにせよ、彼の矜持を逆撫でする事態であったのだ。
あの邂逅以来、ずっと漠然と纏わりついていた何かが彼の中で形を取ったのは、継承戦のことを知った時だった。
兄の影が常に追いかけ、纏わりついてくるような気分で育った。
そもそも名前すら、兄の模造品じみたそれだ。
名付けた父も――身内ですらも、あらゆる人間から「バルタザールの弟」とずっと呼ばれて、常にそう見られてきた。
だから、この継承戦は最初で最後の機会だ。
彼が兄より上であると、そう示すための。
継承戦に打ち勝ち、兄を越える。
それこそがバルジールの宿願であり、遠い昔に生きる意味と定めたことだった。
「…………もうじき、でしょうか」
バルジールは考えを巡らせた。
今分かっている情報では、ここから騎士団と教団の間で大渦が沸き起こる。
今は誰もが教団と、己の背後だけを気にしている。
これは彼にとっても好機であった。
そろそろ、兄を裏切る準備を始めねばなるまい。




