庶子の矜持
場が和んだところで、「エルク」と小さな声で呼ばれた。
ウルリカの腰の後ろ辺りに隠れた、丸く大きな目とかちあう。
ウルリカの妹、次女フラーニアは、姉の影から出ててくてくとこちらへやって来た。
十を過ぎたばかりという年齢を考えても小柄な方で、エルクは彼女の目の高さに合わせてやや屈んだ。
フラーニアは目を合わせたまま、後ろ手に持っていた何かを前に突き出す。
「……これ……」
差し出されたのは大きめの封筒だった。
中には立体物が入っているようで、所々膨らんでいる。
フラーニアはエルクをじっと見つめ、小さな声で更に言う。
「…………聖者様に、渡して?」
「……承りました。お預かりします」
「……ありがとう……」
いつも通り、殆ど唇を動かさない、抑揚に欠けた話し方だ。
フラーニアは小さく頷き、すぐに姉の後ろに戻った。
静かで大人しい従妹の、いつもの振る舞いだ。
しかし賑やかなウルリカの後だからか、余計にその静かさは印象に残った。
そこに遅れてやって来た次男ランベルが声を掛けてくる。
「エルク殿、こんにちは。早速妹たちがすみません」
「ランベル様……貴方まで来て下さったのですか?」
「はい。……兄は猊下のところですし、下の子たちは少し体調を崩しておりまして……それで、私と妹たちだけで。
一家でお見送りしたかったのですが、申し訳ありません」
「とんでもない、恐縮です。お忙しいでしょうにわざわざお越し下さって……」
互いに頭を下げあって、そして笑い合う。
双方敬語のやり取りはやや固いが、それ補って余りある親しみがそこにはあった。
暫くの間ともに歓談して、そうしている内にいよいよ準備が終わろうという空気になった。
「…………エルク」
その間、ずっと黙って控えていた母が、いとこたちに深々と一礼してからこちらに向き直る。
静かな声で見送りの言葉を口にした。
「体に気を付けて。猊下より授かった務めを果たすのです。
そして、神の御心が正しくなされますよう」
「はい、母上。ありがとうございます」
互いに礼節を保ちながら言葉を交わす。
それは何も人前だからではなく、これが彼ら母子の常態だった。
教団の女性、特に妾の立場にある者たちが品行方正にするのは、何も自分のためだけではない。
子供のためでもある。
教団は血筋を何より重視し、純粋な当人の資質だけでなく、その親族の諸々を重ねられる。
特に妾の場合は、自分に悪い評判がついていると、子どもまでそういう目で見られるのだ。
「あの妾の子か」と。
特に娘であった場合は、縁談に致命的な悪影響を及ぼしかねない。
その点母は、模範的な存在と言えた。
使徒家ではないが、教祖の代からの由緒を持つ良家に生まれ、十全な教育を受けて育ち、ワーレン家に嫁いだ。
そして正妻が亡くなってからも、エルクが生まれてからも。
母は奢ることなく影に徹して、正妻とその子を立て続けたし、エルクのこともそのように教育した。
彼が物心つかぬ内に亡くなった父は、そういうところを好んでいたのだろうかと、時々思う。
……だからこそ、その献身を踏み躙ってはならないのである。
エルクは良くも悪くも己の立場を自覚し、深く理解した少年であった。
「エルク様、そろそろ宜しいでしょうか?」
「はい。ジレス様、どうぞ宜しくお願い致します」
やって来た同伴者にエルクは深々と頭を下げ、きちんと威儀を正す。
万が一にも非礼があってはならないという意識の表れであった。
ジレスの生家であるザーリア―は、使徒家の中でも殊更にワーレン家への帰属意識が強い。
いっそ存在意義を預けているとすら言えるほどに、ワーレンへの補佐に特化している。
それ故ワーレン家の血筋であれば、彼らの奉仕を受ける資格があるとされるし、実際そう扱われてきた。
それでもエルクは謙ることを惜しまない。
彼は庶子であるからだ。
どんな時でも異母兄レイノスを立て、母の教えを実践し続けるのが彼に課せられた生き方であった。




