マディス教への迫害
教祖ワーレンは騎士団ヴェリア地方で、羊飼いの息子として生まれた。
兄弟姉妹もいたようだが(人数には諸説ある)、それは死亡率の高かった昔のこと、ワーレンが十を数える頃には全員が死んでおり、生き残ったのは彼だけだったらしい。
そしてその数年後両親も飢えと病に倒れ、彼は天涯孤独の身となった。
当時の騎士団は大規模な飢饉が度重なり、内部が荒廃しきっていた頃だった。
棄民や粛清、内部抗争も激化し、誰もが不安を抱えて、明日に怯えていた時代だったのだ。
ワーレンが人々の前に姿を現したのは、二十を幾つか越えた年頃だったと言われている。
そしてその記念すべき、最初の出現場所がどこだったかと言うと――何とマディス教の神殿である。
多神教であるマディス教の神殿では、数多の神々の像を祀っていた。
掲げられた神像を前にその不徳と腐敗を非難し、このような神を信じていては世は救われない、正しき神を信仰すべきであると、人々にそう訴えたわけである。
マディス教本拠地のど真ん中で、である。
この蛮行、暴挙と言っていいほどの振る舞いにマディス教が激怒したことは言うまでもない。
ワーレンは集った神殿兵や信徒たちに袋叩きにされ叩き出された。
それは私刑とすら言える凄惨なものだったようで、ワーレンはほぼ瀕死だったというが、程なくして何事もなかったように回復した。
その後もワーレンは強固に、そして断固とした意志でもって伝道を続けた。
そのうち、世間に失望した者たちから信奉者が現れだす。
マディス教からすればありえないことだった。
無礼極まりない気狂いを追い出したと思ったら、知らないところで人々を口説き回っていたのである。
あろうことか賛同者は見る見る増加し、日に日に勢力は拡大していく始末。
ワーレンは不穏分子の首魁として訴えられ、拘束されたが、その頃にはもう処刑は難しい状況になっていた。
ただでさえ情勢が不安定だった時期、人々の崇拝を集める人物を処刑しては何が起こるか分からなかった。
最終的に大公家が仲裁に入り、ワーレンは身一つで騎士団を追われることになる。
そしてそこから教団の歴史が始まった。
ワーレンは使徒を集め、人々を導き、教団の定礎を作り上げた。
シルバエルはそもそも、マディス教の本拠地にして聖地であった。
かつてクラーデス家の領地であったそこは、旧時代の美しい神殿群が聳え、地上で最も神々に近い場所と崇敬を集めていたのだ。
しかしワーレン教はそれを奪い取ることに決めた。
奴らが聖地を奪い取る大義名分として目をつけたのは、聖山に分布していた木々であった。
「聖木の導きによりて安息の地に到る」それが、教祖ワーレンが言い残したことであったからだ。
ワーレンは「聖なる木」という目印を与えはしたが、それがどこであると指定していたわけではない。
それを、三代目教主がシルバエルこそ聖なる都と断定し、次代の四代目教主が戦端を開いた。
そして百年にも渡る、聖地を巡る争いが始まったのだ。
そして、勝利した教団は大粛清を行った。
「異教徒共が生きておれる地を寸分も残してはならぬ」それは十一代目教主が下した勅令だった。
逃げ惑う異教徒を殺し尽くし、果てには追い打ちのように彼らが信仰していた聖木を削り、香に加工し、教主の身なりに使用した。
どれを取っても、彼らの尊厳も信仰も、徹底的に踏み躙る行いだ。
敗れたクラーデス家当主、そしてマディス教の者たちは、大公家からの転封を受けてロスフィークに移った。
こうして騎士団に追い立てられた彼らは、これまでに二度、聖地の奪還に失敗した。




