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剣を用いない戦場

 聖者とオルシーラが去った後、場に残されたのは奇妙な静寂だった。

誰もが目を見交わし、二の句に迷っている。

彼らの価値観は先程のことを、どう判定すべきか迷っているのだ。


 社交界は剣を用いない戦場だ。

多少の言いがかりや揉め事も、泰然と受け流すことが品格であり作法だ。

新参者や脛に傷持つ者が値踏みされるのは当然の通過儀礼であり、そのようなことは取り立てて騒ぐほどのことでもない。

妾という制度を通してある程度成り上がりにも門戸が開かれている以上――成り上がり者が社交界に参画する最初の一歩は、多くの場合娘を上流階級の妾にすることである――それは義務を通り越して習性と言っても良かった。


 ましてこの場合、相手は騎士団の人間なのだから、尚更慎重に見極める必要がある。

そういう考えから、彼らはその手のことを然程問題視していなかった。


 しかし……この状況で聖者の不興を買うのは、あらゆる意味でよろしくない。

今や真実神の申し子と讃えられる聖者と敵対するなど、宗教的にも政略的にもありえない。

そのようなことになれば家の名に傷がつくことは免れないだろう。


まして聖者に対して、俗人の価値観を押し付けるなどできようはずもない。

それが彼らにとって、呼吸にも似た至極当然のことだとしてもだ。

仮に聖者が不快を覚えるならば、その手のことは控えるべきだろうかと、誰もが境界線の位置を測りかねていた。


 クレドア家の娘セシルは、そうした流れを敏感に察知していた。

彼女はその手のことに非常に気を張っていた。

だからどんな変化もつぶさに感じ取れる。

何故ならば――


(まさか聖者様が、お声をかけて下さるとは……オルシーラ姫へのあれは、誰かにけしかけられてのことでしょうけれど、こんな成り行きになるだなんて)


 他でもない、彼女のクレドア家も成り上がり者の子孫であるからだ。

まだたった三代目、六十年ほどの歴史しか持っていない。


 父の顔をちらりと窺う。懸命に取り繕っているが、あれは絶対舞い上がっている。

無理もない。曽祖父の代からの悲願に、思いもしなかった、しかしこれ以上ない形で近づけたのだから。


 今から五十年以上前、セシルの曽祖父が一代で財を成し、クレドアの初代となった。

曽祖父は信仰と野望のままに社交界入りを熱望したが、成金だとの偏見を拭い去ることは叶わなかった。


 単純な成功なら一代でも可能だが、高貴さを得るには一代では足りない。

財力、戦功、文化貢献……これらを通して、「有用な血筋である」と証明していかなければならない。

先程話題に出された竪琴というのも、その頃奮発して購入したものだが、曽祖父の代ではあまり日の目を見ることは無かったそうだ。


 そこからは、一つも失敗できない上昇のための道だ。

大叔父・大叔母・叔父・叔母たちを、片っ端から奉公や妾として送り込んだ。

一方で多方に人脈を広げ、子どもには権門と遜色ない教育を施し、お茶会に晩餐会に音楽会に舞踏会にと開催し続け、一族を挙げて地道な努力を積んできた。

更に叔父の一人が、三十年前の異教徒との戦で戦功を打ち立て、やっと受け入れられる土壌が整いつつあった。


 長かった。五十年以上を、三代をかけてやっと、高貴な者たちに認められ得る可能性を……基盤を手にしたのだ。


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