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勇者の過去

エレラフで迎えた五日目の朝は、鈍色の曇天だった。どことなく故郷を思わせる色だ。


今更特にすることもなく、暇になったシノレは壁の上から下を見下ろしていた。

勿論ここにも壁攻めの際の血痕が大量に残っている。

もううんざりしすぎて、色々麻痺して、血がどうこうより目の疲れの方が気になってくる。

緑か青が見たいなあと切実に思った。だから高所に上ることにした。


朝からずっと、エレラフの門は開かれ、そこから降伏した人々の移送が行われていた。

外壁の門から縄で繋がれた捕虜たちが、ぞろぞろと吐き出されていく。

その有様に嫌な思い出が蘇りそうになって、顔を背けた。

その視線の先に、銀色の髪があった。いつの間にか小柄な影が、エルクが登ってきていた。


「……こんにちは」

「ワーレン司教……もうお体は宜しいので?」

「ええ、まあ。……僕の役目は終わりましたので」


壁に登った少年はその言葉に小さく頷く。

その物言いが引っ掛かったが、それよりも危うげな足取りに気を取られた。

そのままふらりと歩み寄り、数歩距離を開けた場所に立った。

また何か話でもあるのかと身構えたが、一向に口を開く様子がない。

じっと俯きがちに、人波を見守っている。


冬に向かい、日に日に深まる冷気が辺りを覆う。

隣の少年は何も言わない。ここ数日間の印象、聞くともなく聞かされてきた情報が頭の中で回り始め、反芻されていく。


「…………僕が言うのも何だけれど、大丈夫なの?」


沈黙に耐えきれず、ついそう聞いてしまった。

隣からは静かな声で、「何のことですか」と返ってくる。


「僕から色々聞いてしまって、本当に良かったの。

それに初陣で寝付いたりしたら、今後に差し障るんじゃないの……まして、君は猊下の……」


あれこれと語らっていなければ、どうでもいいと思えたのだが。

言葉に詰まりながら、隣を窺う。

俯きがちの姿勢から、髪を揺らして小さく苦笑する気配がした。


「猊下は僕に、然程の興味や期待をお持ちではありません。

不肖の弟のことなど今更取り立ててお気にはなさらないでしょう。

寧ろ今回のことでは勇者殿に興味がおありでしょうから、僕はそれこそが不安なのです。

……今回の勇者殿の随行は、猊下の思し召しなのでしょう?

叙階を目前にした今になって。そのことに、僕は少し……」


そこで口籠り、不安げな、気遣わしげな視線を向けてくる。

その視線に少しぎょっとする。

鳶色のそれは色味こそ違うが、激しいほどの明暗の対比が教主の目を思わせたのだ。

だがそこにはあの隔絶したような冷ややかさはなく、寧ろこちらを案じる色があった。

「…………つまり、その……君の話や考えも聞くに……このまま司教に、勇者になるのが、本当に君にとって、良いことなのかと」

「…………」


どう答えていいか分からず、沈黙で返す。

何だかもう色々通り越して、あーあ、という気分になってくる。

半年間それなりに頑張って取り繕ってきたというのに、ここ数日でガタガタだ。

いや、最初から無理があったのだろう。


「僕は…………」

別に言うつもりもなかったのに、何かに流されたのか。

盗み聞きの心配がないという状況が、互いの箍を緩めていたというのもあるのだろう。

気づけばぽつりと、声が引き出される捕虜たちの頭の上に落ちていった。


「僕は奴隷として、教団に連れてこられた。

……何で聖者様に選ばれたのか、さっぱり心当たりがないんだよ」


ふと、張り詰めていたものが切れた気がした。

碌でもない日々でしかないのに、勇者になる前の思い出が次々と浮かび上がってくる。

小さく息を呑む気配にも構わず、ただ眼下を過ぎ行く捕虜たちを見つめ物思いに耽った。


そうなったきっかけについては、よく覚えていないのだ。

ただ巨大な黒い影が、こちらを呑み込むように広がってきたのは覚えている。

あれを堺に全てが変わった。

そして、今はこうして奴隷として引きずられる捕虜たちを見下ろしている。


隣からは、何も言及されなかった。

奴隷に落とされた人々が、繋がれて吐き出されていく。

いつまでも続くようなその列が絶えるまで、互いにただ無言で、長い間立ち尽くしていた。


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