指輪を預ける
「無駄話をするのも申し訳ないので、本題に入ります。
このところ、オルノーグで変わった動きがあるようなのです。
総帥もどうやら、十数年ぶりに動く気になったようで」
「そーかそーか。あれか、やはり例の白竜の件か?」
「ほぼ間違いはないでしょう。
総帥の御心が動いた以上、遠からずワリアンドにも影響が届くことでしょう」
「やれ困った。せめてあと一年後だったらもう少し色々できたんだがな、今回はできることは少なそうだ」
ベルガルムの口調は早く、歯切れが良い。
だがどこか熱に浮かされたような不安定さがある。
そんな声と同時に、彼は大袈裟に息を吐き出した。
総帥がこれから何を望むか、どう息子たちを動かすか、彼は既に薄々察している。
「まあ一応派兵自体はできなくもないが……
ヴィラ―ゼルへの牽制のことも考えないといかんからなあ。
一応打つ術はあるぞ?だが色々と不自由が多い。腹が立つなあ!」
「ヴィラ―ゼル兄上を、どうにか排除することは叶わないのでしょうか?
……継承戦を戦う以上、いづれは下さなければならない相手でしょう?」
「無理無理、あんな怪物真正面から殺せるものか!!
遠いどっかで天災に遭うか、誰かと相打ちになってくれないかな―と思ってたが、いやはやそう上手くはいかんな。
まあ、それで死ぬようならそもそも怪物ではないか……だが、うん。一時休戦になるだろうな、それは」
まあ休戦協定なんてお題目だけだろうが。
相手が一瞬でも隙を見せたなら粉砕するのみだ。
隙を見せないのであれば、無理やり作り上げれば良い。
そうしたならば真実、ワリアンドの勝者になれる――ベルガルムはそう考えていた。
「ところでヴェス君、そろそろ俺に指輪を預ける気になったか?どうなのだね?」
「兄上がそれをお望みとあらば、私は構いませんが……
その場合、些かの弊害が生じることも、兄上にはお分かりのことでしょう」
その追及にも、彼は感情の読めない笑みを崩さなかった。
指輪を奪えば後に不利益がある、いや与えると、そう言外に仄めかす。
実のところ兄弟間での指輪の明け渡しとは、両者にとって多大な危険を伴うものである。
何しろ継承戦は、指輪の収集が勝利条件なのだ。
折角得られた指輪を見す見す手放す馬鹿はいない。
指輪を得た方はそれを手放さずに済む、手放したとしても確実に回収できる方法を模索することになる。
相手の運用も使い捨てるのが大前提、成果を残して死んでくれたら万々歳だ。
例えば過去には別の兄弟に弟の指輪を流して殺し合わせ、一切手を汚さず指輪を両取りした者もいた。
まあ、今現在オルノーグに君臨する彼らの父親のことであるが。
そして、指輪を差し出した方も。
継承戦の舞台では、指輪がなければ何もできないのだ。
指輪を持たない者など、何をするにも誰にも相手にされない。
別の兄弟に何らかの取引を持ちかけたとして、
「まずは指輪を取り戻してから出直してこい」と一蹴されるのが落ちだ。
故に指輪を渡した場合、可能ならば相手の懐に潜り込み、その油断を虎視眈々と狙うことになる。
……指輪を渡すというのはつまり、影同然の存在になることを意味する。
継承戦に身を投じる者にとって、指輪は命だ。
それを明け渡す主従関係とは、畢竟ただ力で抑えつけるだけのものであり、後の裏切りを前提としている。
それで自滅していった兄弟たちを思い出し、ベルガルムは冷笑した。
「……ですが兄上ならば、それしきで何の問題が生じることもないでしょう。
兄上は神に選ばれた御方ですから」
「ふふふそうなのだ、何しろ俺は強運な男なのだから!」
「ええ、まさしく神の加護を受けておいでです。
大神官様の託宣、そして神の御光のもとで兄上の版図は一層広がっていくことでしょう」
「一番死を感じたのが、ここの壁外でヴィラ―ゼルとぶつかった時だったなあ!
あいつの怪物っぷりを見せつけられて流石にもう駄目かと思った!!」
「兄上の無類の強運こそ神のご加護です。
その恩寵に応えるべく動いておられると信じています。
だからこそ私は可能な限りの尽力を致しましょう」
「全くあの怪物、幾ら矢を打ち込んでも刺さらないんだぞ!?
馬鹿げているだろう!!
何であんな全身鎧の重装備であれだけ機敏に動ける!!」
同じ話題を共有しているようで、その実お互いの話を一切聞いていない。
兄弟の歪な会話は続く。
ベルガルムは本来、他者の思惑や助けに然程興味がない。
ただ彼は、眼の前で微笑む弟の心理には一定の興味があった。
ヴェスピウスは微笑んでいる。
柔らかく、穏やかな、かつてとは別人のようだと誰もが言う笑みだった。




