兄の指輪
ニアが部屋に戻った時には、もう言い争いは収まっていた。
兄二人は椅子に腰を落ち着け、先程までとは打って変わって真剣な様子で話し込んでいる。
そうした室内の雰囲気は、新たな客人を迎えたことで微妙に変化した。
真っ先に口火を切ったのはギルベルトであり――それは弾けるような笑声を伴っていた。
「ぶっはははははは!!ザール、お、お前それどうしたの!?
その頭、今度は何の風の吹き回しなんだよ、密林で隠密行動でもすんのか、っはははは!!」
「ギル坊よ、その言葉を待っていたのだ!
猫ちゃんは全然突っ込んでくれなかった!
正直寂しかった!
いやしかし密林か、そうか!!斬新な感想感謝する!」
食い気味にそう答えるバルタザールの髪は、見るも鮮やかな緑であった。
肩を過ぎる長さのそれを、凝った黒の飾り紐で無造作にまとめている。
それは奇天烈ではあったが、薄い肌の色味や真紅の瞳に不思議に調和していた。
気分で髪の色を変えるのは、ここ数年続けている彼の趣味である。
だが彼の立場上、それに言及してくる人間はほぼいなかった。
遠巻きに奇異の目で見られるより、遠慮なく笑い飛ばされるくらいが丁度良い。
故に彼はギルベルトの反応にも不快感を示さず、ゆったりした動作で着席した。
部屋主の許しはまだだが、そうしたことを気にする関係でもない。
第一部屋主は笑い転げていてすぐには使い物にならない。
ギルベルトが落ち着き、もてなしの茶も供されてから、仕切り直しの言葉を発したのはエヴァンジルだった。
「……バルタザール。アンタがここまで来るなんてどういうこと?
まさか……ワリアンドで近々何か起きそうとか、そういうこと?」
その顔には、ギルベルトのようなあけっぴろげな雰囲気はない。
微妙に硬質で、探りをいれるような面持ちだった。
その反応も無理もないことだ。
ここから遠く東、未だに続いているワリアンドの勢力争い。
この男はその当事者の一人と言えるのだから。
ワリアンドを制する者は継承戦を制す。
少なくとも過去の継承戦はそうだった。
継承戦序盤に、少なくない兄弟たちがワリアンドに集まった。
彼らによる激しい衝突と削りあいの末、決戦になだれ込みつつある。
今のワリアンドは危うい均衡の上にある。
誰かがどこかで動けば、決着までは一直線だろう。
それは誰もが推察していることであった。
そうだなあ、とバルタザールは首を傾げる。
手に取った茶器を鑑賞するように回しながらも、その視線はエヴァンジルを向いていた。
「いやまあ、レドリアでちょっとした商談があってな?
その帰りに寄ったのだ。
……というかワリアンドについては、寧ろこちらが確認させてほしいな。
エヴァっち、貴下はワリアンドに介入する意思があるのか?
ギル坊と猫ちゃんはまあ良いとして、貴下の方針は目下読めないからなあ……」
「方針ってほどのものはないわ。
ありもしないものを読めないのは当然よ。
……アタシはただ、うまく生き延びたいだけだから。
そのために必要なものを集めているだけ」
「そうか……いやはやなるほど、そうであるか、ふーむ……」
んー、と唸るような声を上げ、バルタザールは茶器越しにエヴァンジルを見つめる。
エヴァンジルもその視線を受け止める。一瞬空気が張り詰めた。
探り合いの視線の応酬が一段落したところで、ギルベルトが口を挟んだ。
「なーお前ら、なんでそんなピリピリしてんだ?
別にエヴァンジルは怪しいことはしていないだろ」
「豹の兄さん、話が分かってないなら首突っ込まないで……
兄さんは、指輪を出せば良いんじゃない?
一先ずそれで保証になるでしょ」
「そうね……ありがと、ニア」
弟の促しに、エヴァンジルは組んでいた指を解く。
手袋を脱ぎ去った彼の指には、金の指輪が光っていた。
「……ギル坊に指輪を預けに来たのかと思ったが、そうでもなさそうだな」
「信じる信じないは勝手、好きにすれば良いわ。
ただアタシは、今は情報集めに徹したいの。
そのために兄弟のところを渡り歩いてはいるけれど……少なくとも、誰にも指輪を預けていないわ。
それだけは証明できる」
「そうだな。ふふ、指輪……初代総帥も、粋なことを考えたもの」
高い場所に設けられた小さな飾り窓からは、豊かに光が差し込んでいる。
金の指輪は、明るい日の下で良く光る。
その輝きに、バルタザールはおかしそうに笑った。




