黒薔薇の幻影
……思い出すのは、僅か半年前のことだ。
リゼルドが、腹違いの弟が聖都に帰還し、叙階を受け、そしてセヴレイルと争っていた頃。
その日々の狭間の、全体では取るに足らない些細な、けれど彼女にはあまりに悍ましく忘れがたい一幕だ。
一連の騒動でリシカの矛先が逸れたため、あれは彼女としても落ち着きを得られた期間だったが……それでも、安寧とはいかなかった。
その最たるものが弟ルドガーの来訪と男との時間、その僅かな間隙を突いて、リゼルドが単身乗り込んできたことだ。
『騒がないでね。……こんな時、こんなところで僕と二人で会ったって知れたら、困るのはお前の方だよ?』
数年ぶりに会った異母弟との時間は短かった。
仕方なく出した茶は、当然のように彼女が毒見させられた。
それが飲み干され、机の上が空になった、その時だった。
『……ねえ、ローゼ』そうして彼は少女めいた美しい顔を綻ばせて、言ったのだ。
『お前がどこでどう男と遊ぼうと良いけどさあ……あの女の墓には行きなよ。
それはお前の義務だよ、放棄することは許さない』
『――――……』
『それともご褒美、あれでは足りなかったのかな?』
彼の母によく似た、黒黒と、悪意の毒が滴り落ちるような声で。
全身に鳥肌が立つ感覚を味わったのは、あれが初めてだった。
その瞬間、誰がその花を母の墓に供えるよう手配し、無言の嘲笑を以て見せしめを行ったのかを知ったのだ。
無論実行可能な者は多くないのだから、当然可能性としてはあった。
わざわざリシカがあんなことをするとも思えない。
それでも敢えて考えないようにしていたそれが、確定した瞬間だった。
リゼルドが帰った後。
ある予感とともにローゼは、客間を出て、家主に与えられていた客室の扉を開いた。扉の奥に広がっていたのは、案の定な光景だった。
その家の主は、ヴェンリルの派閥に属してはいなかったのに。
いつどうやって手を回したのか。
そんなことは分からないし知りたくもない。
そこは予想通り大量の黒薔薇と、そこから生えた棘で埋め尽くされていた。
その結果だけで充分すぎた。
あれ以来、彼女は薔薇が大嫌いになった。
元々嫌いだったのには違いないが、今ではその姿や香りだけで怖気を振るうほどに――
「……薔薇は嫌いなの。黒いものは、特に」
寄り添った男の肩口に顔を伏せ、表情を隠す。
瞼の裏で揺れる黒薔薇の幻影は、それでも中々消えてはくれなかった。
……ややあって、気分を落ち着けてから彼女は顔を上げた。




