カドラスの嫡男
「……おはようございますシノレ!もう起きてますよね!?」
それから数日後、姫の歓迎やら騒ぎもやっと落ち着いた矢先のことだった。
朝一番に満面の笑みで乗り込んできたのは、カドラスの嫡男ユミルだった。
そのままなし崩しに稽古場に連れ出されて、訓練に励むことになった。
(ああ似たようなことがエルフェスでもあった気がする……)
引っ張られるまま一緒に準備運動をしつつ、無言も何なので適当に話をする。
多分年下だと思うのだが、体格が同じくらいだから、よく稽古で組まされる。
「ねえシノレ。君はあれから、何か遠慮をしていませんか?
全力で来てくれて良いんですよ!」
「いえ、その度は、大変な失礼を……
もうあんなことはないよう心掛けますから」
運動の姿勢にかこつけて、目を合わせないようにして答える。
ユミルの言うあれというのは、ここに来てすぐの頃のことだ。
『君が勇者のシノレですよね!?ちょっと付き合ってくれませんか?』
そんな、使徒家の嫡男の気まぐれから始まった。
始めは何の変哲もない訓練だったのだ。
準備運動をして、持久力のために体力をつけて。
問題は、最後にどうしても手合わせしてくれと言われて断りきれなかったことだ。
返す返すもあれは悔やまれる。
腹痛になったとでも言って帰るべきだった。
『お願いします!どうしても!』
武門の嫡男だけあって、剣筋はしっかりとしたものだった。
基礎がきっちりと固められ、無駄がない。
シノレはこういう相手とのルールありきの試合は苦手だった。
段々と追い込まれていき、最後の方で体勢が崩れ、そこに模擬刀が振り下ろされて。
まずい、と思った。
その軌跡に、考えるより先に体が動いていた。
倒れ込む先の土を掴み、顔に投げつける。
そして怯んだ相手をシノレは、横払いにして薙ぎ倒していたのだった。
『……っ!』
『若様!なんという……!!』
そこからの大騒ぎは、今思い出してもうんざりする。
何をするのだとか、卑怯邪道とか、散々周囲の大人たちから詰られた。
特に従者らしき人間からは殺気立った目で見られた。
そもそも試合に誘ってきたのは向こうなのだが、そんなことを申し立てても変わらない。
ああこれは失敗したなあとシノレも思った。
教育係に散々罵倒されてきたことだというのに、こればかりは治りそうもない。
とにかく、これ以上刺激しないように、謝罪だけしてそそくさと立ち去ろうとしたのだ。
けれど、たった一人だけ。
従者に囲まれて介抱され、すぐに起き上がったユミルだけはシノレのそれを称揚した。
嫌味でも皮肉でもない、明らかな興奮の面持ちで。
『――君、すごいですね!!今のどうやったんですか!?』
つまり、稽古で負けそうになって、つい目潰し仕掛けたら懐かれたのだ。
自分でも何を言っているのか分からないが、それ以降やけに好意的にされる。
「僕は全然気にしていませんよ、すっごく鮮やかな目潰しでしたから!!
家の皆は卑怯だと怒ってましたけど、僕はそんなの関係ないと思うんです。
強さや勝利に尊いも卑しいもありません。
ああ、リゼルド殿を思い出します……!
僕も目潰ししたいです!!」
どうもこの少年、無類の戦い好きらしい。
善悪問わず強い存在が好き、そして自分が強くなるのが何よりも好きというタイプのようだ。
より強さと高みを求めて昼夜欠かさず鍛錬に取り組む、そんな彼が盛んに話題に上げるのが、リゼルドのことだった。
どうにも前から憧れているらしい。
「リゼルド殿は本当に物凄く強い方なんですよ!
何年か前稽古に付き合って下さったのですが、僕は全く歯が立ちませんでした!
しかもその場の全員の総掛かりで楽々勝ってしまわれたんです!」
「はあ」
「特に最後の一閃!!
一度に三人薙ぎ倒したあれはもう芸術の域でした!
あの時のリゼルド殿ともう少しで同い年になりますが、全然追いつける気がしません!
もっと頑張らないと!」
「……そうですか」
「更に、更にですよ!
僕がまた手合わせして下さいと言ったら、近衛師団の騎士相手に百勝したら来ても良いと言って下さったのです!
今の僕ではまだまだ力が足りませんけど、その日に向けて頑張ります!」
「……そうなんですか」
適当にあしらわれてんなあ、と思うが口に出さない。
余計なことは言わない、どこでも通じる処世術の基本も基本だ。
体を解してから何気なく周囲を仰ぎ、渡り廊下を通る人影が目に入った。
(……オルシーラ姫)




