七星の首飾り
「それは問題ない。貴族たちは救われる。
……我が家が救われることが、騎士団が救われる道なのだ。
ああ、そうすればきっと、彼女との子も。
跡継ぎも齎されるはず。
そして我が家に、永遠の繁栄が約束されるのだ」
「……お兄様……お義姉様は、もういらっしゃいません……あの方は、既に墓所に、」
「……何を言っている?」
オルシーラは兄の言葉は、極力聞き流すことにしている。
ただ、流石にこれには口を挟まずにいられなかった。
それに返ってきたのは、心底不思議そうな返事だ。
それにオルシーラは絶望する。
激昂してくれれば良かった。
そうであれば……幾ら狂おうとも、心の何処かでは現実を受け入れているのだと、そう思えたのに。
「彼女ならば、そこにいるではないか」
あまりにも当たり前のように言われて、オルシーラは一瞬自分の頭の方がおかしいのだろうかと思った。
けれどすぐに自分を取り戻し、息を吐く。
虚飾ばかりの、このあまりにも暗く狂った空間で自分を見失ってはならない。
数少ない思い出は、今でも眩く光っている。
兄と、亡き義姉と、城の庭で、笑い声を上げながら駆け回った記憶。
自分たちの足元に、どんな地獄が広がっているかも知らずに。それでも幸せだった。
思い出の中の義姉は、今でも無邪気に笑っている。
優しい、繊細な気質の彼女は瞬く間にここの魔に呑まれて沈んでいった。
――何もかも、もう遠い昔のことだ。
少し黙って何も無い空間を見つめていた兄は、やがてあっさりと話を変える。
「かねてから話はしてあったが……今、この首飾りもお前に預けよう。
今からこれはお前のものだ」
「七星の首飾り、ですか
……本当にこの宝を使うのですか?
千年もの間、我が家の門外不出の宝であったというのに」
「今使わずしていつ使うのだ?
……そう、これがお前を導くだろう。
正しき道へ、そして正しき世界が実現する」
傍机には、宝石箱が鎮座していた。
その中に煌めく首飾りは、かつてのエルセインの姫が携えていたとされるものだ。
膨大な年月を経てきたそれは、年代物を越えて、歴史そのものとすら言えた。
生半可な宝石には出せないであろう圧倒的な輝きと威容を放っている。
兄はそれを手に取り、手ずから彼女の首にかけた。
「…………」
間近に迫った兄の目は、澄み切った水底のような色をしている。
深く暗い、狂気にも似た青色だ。
この目を見る度、彼女は鳥肌が立ちそうになるのだ。
気づけば青という色そのものが苦手になっていた。
そしてたった今首にかけられたその宝玉も、悍ましいほど美しい青色をしている。
兄の目がぶら下がっているかのような錯覚に吐き気を覚えた。
死の底のような沈黙だった。
暫く彼は、彼女の胸元に揺れる青を見つめていた。
首飾りから手を離して、そのまま兄は彼女の肩を鷲掴む。
骨ばった手が異様な力でぎりぎりと食い込み、それでもオルシーラは表情を変えなかった。
「――必ずだ、必ず我らに光明を齎すのだ。
これがきっと、天から授かった最後の機会」
「…………はい。力を尽くします、お兄様」
兄の恐ろしく、痛ましい狂態を前に。
彼女はそう答えるしか無かった。
弱るならば弱れば良い。
滅びるなら滅べば良い。
現実は現実として受け止めて、その上で対処を考えれば良かったのに。
それができずに足掻き続けた、その結果がこれだ。
時勢の変化、弱体に凋落――それを覆い隠そうと汲々とするだけの、腐り果てた貴族たち。
こんな状態の兄を尚も玉座に縛り付ける、こんな宮廷など滅びれば良いのだと彼女は心の中で思った。




