騎士団の姫
綺羅びやかな装飾が凝らされた、家屋一つは収まりそうな巨大な扉。
その前でドレスの裾を揺らし、深く息を吸い込んだ。
春の盛りだというのにどこか冷たく、死臭のような暗い匂いが広がるが、そうでもしなければこの先に踏み入ることはできなかった。
扉が開いていく音に、オルシーラ=セレノア=シルフェイア=シラ=フィーデル=ローラングス=スファリオンは覚悟を決めて前を見据えた。
「――お呼びでございましょうか、お兄様」
決まり切った作法と文句を述べながら、オルシーラの頭を占めるのは全く別のことだ。
昔地方に視察に行った時。
多少の手違いで、予定が遅延したことがあった。
そしてオルシーラは、ほんの半刻ほど付近の村の近くに馬車を寄せたのだ。
そこは荒廃していた。
痩せた畑と、人の骨と皮ばかりだった。
彼らは罵るでもなく、暴れるでもなく、ただ虚ろな目で彼女を見つめた。
それが、本当に恐ろしかった。
オルシーラはその場に濃密な、強烈な死の匂いとでも言うべきものを感じたのだった。
……後になって調べた時、その村がそれから程なくして全滅したことを知った。
似たところなど何も無いのに。
ここに来る度、兄を見る度、彼女はそれを思い出す。
「ああ。……変わりなく、元気なようで何よりのこと。
これからの全ては、お前の双肩にかかっているのだから」
「……承知しております。
お兄様におかれましても、ご壮健のご様子、お慶び申し上げます。
私が去った後も、変わらず恵みが降り注ぎますよう……」
去年より今年、昨日より今日。
時間が経てば経つほどに、この兄は父に似てくる。
まるで生き写しのように。
亡霊が今も生き続け、藻掻き続けているかのように。
公的な別れの儀式は既に終えている。
これは至って私的なものだ。
最後の、それこそ永遠になるかもしれない別れだ。
だから、いつもと違う何かがあるのではと、心の何処かでは期待していた。
けれど、兄はいつもと全く変わりがなかった。
それを見て取って、オルシーラはそっと目を伏せる。
「翌朝、お前を出立させる。
予定に変更はない。
占師からも許諾を得た。
全ては上手くいくだろうと、星の巡りは変わらず北を指し示していると……」
「……何よりのことです」
そんな男の戯言など聞いている暇があれば、書類の一つにでも目を通して欲しい。
それがオルシーラの本音であった。
しかし、彼女は黙って顔を伏せる。
言っても無駄、どころか己の身を危うくするだけだと分かっているからだ。
「そう、星は、常に我らを見守ってきた……
ロスフィークを見捨てる……?
ああ、どうしてそんなことができようか。
神に、神に見放される!
そのようなことは……!!
サフォリアは……
……ああ、どうしたのだったか。
あの家は何と言っていた?」
「……どのような危険を負おうとも、大公家に忠節を尽くして下さるそうです。
かの家の誠心に、我々も報いる義務がございます」
答えを返しても。
それは兄の耳には響かず、ただ空気に虚ろに吸い込まれていくようだった。
焦点の合わない目のまま、兄はぶつぶつと呟き続ける。




