隔意
「……まあいいや、それから……ウィリス様にさっき言われたんだけど、猊下から手紙が届いているって。
容態が改善するまではって置いていたけれど、聖都や使徒家からも色々来ているそうだし、落ち着いたら目を通して欲しいって――……」
しかし、嫌な回想は長く続かなかった。
話題の転換を受けて、聖者が見る間に顔色を失くしたからだ。
聖者は後半は全く耳に入らなかったようだった。
「猊下が、…………そうですか。そうで、しょうね」
死人のような顔でそう呟く。殆ど呻くような声だった。
「…………」
その反応に確信を得る。
前々から気にかかっていた。この聖者が、教主に対して抱く感情。
それは恐怖だ。
どれだけ覆い隠そうとしても、シノレにはそれが分かる。
人が恐怖する瞬間を数え切れないほど見てきた。だから分かる。
「……言いたくないなら別に良いけど。猊下と何かあるの?
そんな風に……怯えるようなこと、何かされたわけ?」
「――――……」
肩掛けを掴む指が震える。
元々血の気のなかった顔が更に、透き通るほどに白くなる。
数日前までの状態を思わせるそれに、シノレは少し後悔しそうになった。
聞くべきではなかったかも知れない。
だが聖者は、気を落ち着けるように大きく息を吸って、口を開く。
「……この機にひとつ、言っておきたいことがあります」
そう前置きして聖者は居住まいを正した。
恐ろしいほどに澄み渡った、青い瞳が向けられる。
覚悟を決めたようなその真剣さとは裏腹に、紡がれていく言葉は何とも歯切れの悪いものだった。
「既に、薄々察していることでしょうが……猊下は、確かに私に対して……ある種の隔意というか…………蟠りをお持ちでいらっしゃいます。
私に付随するような立場である貴方も、或いはまた以前のように、側杖を食うようなことがあるかもしれません。
それは本当に申し訳なく思います」
そう、深々と頭を下げてくる。
その声も、頑ななほどに真剣で、張り詰めたものだった。そのまま呼吸を整えてから、更に続く言葉を吐き出す。
「…………ですがそのことについて、猊下に一切の非はおありでありません。
全て私が悪いのです。
それだけはどうか、覚えていて下さい」
「…………そう」
シノレはそれに、少し顔を顰めるだけで返した。
色々言いたいことはあるが、ここで喚いても仕方がない。
大分前から察していたことだ。この聖者は、言わないと決めたことは言わない。
こんな風に振る舞う時は、問い詰めても無駄なのだ。
取り分け教主に関係することについては……うまく言えないが、生半可な気持ちで聞いてはいけない気がする。
迂闊に踏み込めば何もかもが砕けてしまいそうな、聖者の様子はそんな危うさを感じさせた。
ややあって顔を上げた聖者は、弱く笑みを浮かべていた。
「……殺されないというだけで、無上の慈悲なのです。
私はそもそもの始まりから、あの方を裏切っていたのですから」




