祝賀
(疲れた……別に過酷なことさせられたわけでもないのに、何だろう精神的にすごい来る……)
その日もその日とて街中引き回されたシノレは、自室に戻ってからぐったりと座り込んだ。
一日中、全方位から視線を浴びせられたと言って良かった。
とにかく体が泥のように重い。
少しじっとして、落ち着いたら水分を取って、それができたら軽くでも食事して、終わったら聖者の様子も見ておこう……そこまで思い、シノレの思考はそこで停滞する。
……本当にあれは、何だったのだろう。
あの満月の夜から半月経った今でも、シノレは度々考える。
あの時起こったこと、そしてそれによって白竜が滅びたということも、周囲で騒ぎ立てる喧騒すらも、 何だか夢でも見ているように曖昧だ。
あの後糸が切れた人形のように、白い顔で聖者はくずおれた。
それ以来殆ど臥せたまま、意識もないような状態で日々を過ごしている。
シノレとしては、食べない上に良く分からない無茶などするからそうなるのだという心境だ。
しかし竜の襲来を最後に、本当に魔獣の攻勢は一旦止んだようだった。
これからの後始末や抗争など問題は山積みであるが、直接的な脅威は去ったと誰もが安堵していただろう。
何より、今はそれどころではない。
新年のエルフェスはお祭り騒ぎである。
行き交う誰もが口を極めて聖者を讃え、竜の脅威が去った喜びと興奮を語り合う。
聖者への献上物は引きも切らないし、街の外からも山と来るほどで、ここ最近シノレはほぼ毎日見世物状態だった。
聖者に会いたがる者も後を絶たないが、肝心の本人が臥せっているのでどうしようもない。
あれからというもの、聖者はほぼ寝たきりの日々を過ごしていた。
二人して力を合わせたあの一件はどうも、聖者の方が負担が大きかったらしい。
そんな聖者の代わりにシノレは引っ張り回される毎日を送っていた。
(この剣も、どうしたものか。
所有者以外を呪うって言ってたっけ。
その影響かな……いやそもそも、何で僕が所有者とやらにされたんだって話だけど……)
窓際辺りにどんと鎮座する長櫃を見た。
どうすればいいのか、それを聞ける状態でもないので取り敢えず元の櫃に入れて、部屋に保管している。
でかいので正直かなり邪魔だ。
この剣も、今は静まっている。
相変わらず強い圧力を放っているのは変わらないが、初期のような――渇望じみた熱はもう感じない。
何だろう、竜を倒すまでは起きていて、今はまた眠っているという感じだ。
一旦は満足したということだろうか。
その時、どこからか大きな砲声が鳴り響いた。
シノレはそれにうんざりと目を伏せる。
血腥い意味合いでないとは言え進んで聞きたいものでもないし、こうも続けば尚更だ――そこまで思って、昨夜目にした光の花を連鎖的に思い出した。
(……あのたかだか数秒の光景のために、どんだけ費用が使われたんだろう……)
この十日余りというもの、お祭り騒ぎは沈静化するどころか加速する一方だった。
日夜祝砲が打ち鳴らされ、中には色と火花を発する煙まで上げられる始末。
ウィリス曰く、実用性を捨てて鑑賞に特化
させた狼煙とのことで、この街では花火と呼ぶらしい。
専ら祝い事で使うのだそうだが……それが昨夜、聖者に幾つも捧げられ、聖者の部屋の窓から見られた。
空に散る花火の光で湖が染まる様は、その手のことに疎いシノレにも分かるほど見事な、殆ど非現実的な光景だった。
惜しむらくは肝心の聖者の意識が混濁していて、禄に見てもいなかったことだが……まあ実施した当人たちは満足そうだったのでそれで良いのだろう。多分。
部屋の外で、扉の開閉音がする。
誰かの足音が床を通して伝わってきた。
それがこちらに向かおうとしているのを感じるや、シノレは飛び起きて高速で身なりと姿勢を整える。
鏡で最終確認し改めて背筋を伸ばし直したところで、部屋の扉が音を立てて開いた。
「シノレー、調子はどうだ?」
入ってきたウィリスは、特大の花束を抱えていた。
白と黄色、それに緑を基調としたそれが、華やかな香りを振りまいて揺れる。
黄昏時の部屋の光が、微かに色づくようだった。
「ウィリス様、どうなさいましたか」
「別に用という用はないが……聖者様の見舞いに来たついでだ。すぐそこだし。
この薔薇も聖者様にと持ってきたんだが……生憎もう部屋に置き場がないということでな。
取り敢えずお見せするだけしてきた」
「そうでしたか……聖者様のご様子はどうでした?」
「少し回復なさったようだな。
この前までは一日中意識がないのもざらで、一時はどうなることかと思ったが……昨日今日と、お目覚めになって意思疎通もできているから、一安心と言ったところだな。
後で会いに行くと良い。お前の顔が一番の薬だろうから」
「それは過大評価かと……」
そう話しながらも、ウィリスは空いた椅子に腰掛けた。
どうやら立ち寄っただけではなく、本格的にここに居座るつもりらしい。
それを見てシノレも気を引き締める。
思い出すのは以前聖者に言われたことだ。
「……聖都の猊下よりお達しがあった。
当代の教主として此度の聖者様の御業を寿ぐものであり、ひいては教団領全域において大々的な恩赦を実施するとのことだ」
「それは……はい。そうですか」
恩赦とは、慶事に際して罪人への刑罰を軽減、或いは罪そのものを不問にする教団特有の制度だ。
古くは騎士団に由来するものらしい。
シノレには良く分からないが、伝統としてそういうものがあるらしい。
教団の法は他と比べて相当厳しいものだ。
だが時々はこうして、慈悲が施されることもある。
これも一種の飴と鞭だろうか……そんなことを思うシノレに、ウィリスは続ける。
どこか遠くを見るような目だった。
「今回のことで、聖者様の存在は本当に、真実神聖不可侵のものとして知れ渡ることになる。
誰しもが聖者様を通して、一層神の光を見るようになるだろう。
それが、少々気に掛かる。
……聖者様はそれに耐えていけるのかと。
あの方は昔から、称えられることを喜びはしなかった」
「そうですね。……僕も数ヶ月お傍におりましたが、聖者様は神聖視されることは全くお好きでないと見受けました」
寧ろ、そうした時の聖者の様子は、どこか受刑者を思わせるものがあった。
ここに来たばかりの頃町端で目にした、檻と枷に封じられた罪人のような。
言葉にはしないがそう思い浮かべるシノレに、ウィリスは我が意を得たりという風に頷く。
「そう。そうなのだ。
まして今は、先日の余波でいつも以上に弱っておられるのだし……
あまりここで、波風を立てて御心を乱したくはない。
聖者様の代わりのようにされているお前には迷惑なことかも知れんが、もう少しこの祝賀に付き合って欲しい。
そして聖者様をお支えしてくれ。
……私はあの方が好きだし、今となっては返し尽くせぬ恩もあるのだから」
結局それを頼みに来たらしい。
ウィリスは何とも言えない顔で苦笑し、そう結んだのだった。




