緊張と重圧
ブラスエガの上空を飛んでいた竜が、遂に教団領西から観測されたとのことだった。
引き連れた魔獣たちは途中で討伐されるなり、足止めにあうなりしてかなり減っていたが、空を飛ぶ頑強な竜には何の関係もない。
傲然と翼を広げる巨大な影と、空を覆い尽くすような咆哮に教団が恐怖に呑まれるのも時間の問題だった。
遠い雲の向こうから、風に乗って咆哮が響いてくる。
時折響いてくる遠雷のようなそれが、徐々に近づいているのが分かった。
竜が迫って来ている。
その緊張と重圧が日に日に増すのを、シノレも当然感じ取っていた。
暦の上では新年だが、当然祝いどころではない。
誰もが自然と魔の月の延長のように祈り続け、神の慈悲を願っていた。
聖者に向けられる期待の重さも増す一方だ。
「聖者様。……このまま速度が変わらなければ、竜は今夜の内に地境を越えます」
「……位置は。どの辺りから入ってくる見積もりですか」
ただ聖者自身は、もうそれに心を削られてはいないようだった。
今も見える横顔からは、以前まではあった、切羽詰まったような空気が消えている。
代わりに何かを、ずっと考え込んでいるような様子だった。
「地境の、丁度この辺り……ここから見て北西の地点です」
「……ありがとうございます、ウィリス様。
このようなことになっても変わらずお心を砕いて下さり、本当にありがたく思っております。
……そこで一つ、お願いしたいことがあるのですが」
「何でしょうか?何でもお申し付け下さい」
「…………前にお食事なさっていた、塔の屋上があるでしょう。
あそこを今夜一晩貸して頂きたいのです。
できれば、誰も立ち入ることがないように計らって下さればと思います。
厚かましいお願いですが……お聞き入れ頂けますか」
「そのようなこと、造作もございません。
お任せ下さい」
必要事項を話し終えるや、ウィリスはすぐに出ていった。色々と忙しいのだろう。
この周辺はともかく、北部は本格的に悲鳴を上げていると聞く。
大きな窓の外ではゆっくりと日が暮れゆく様子も良く見えて、もう半日も猶予がないことを知らせてくる。
果たして本当に、この事態の収拾をつけることができるのか……扉の方を見たまま、シノレはぼんやりと考えた。
机には地図が広げられたままだ。
地図上に指し示されたその点を聖者はじっと見つめ、やがて横顔のままシノレに呼びかけた。
「シノレ、来て下さい。今夜は満月です」




