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楽団の中枢

 それから三日が経った。

竜の進撃は止まらない。

人の手の届かない高み、その巨大な翼の影の下で、変わらず人が死に街は滅ぶ。


暗く長い夜が明けた。

空が白み始める頃楽団の中枢、オルノーグの総帥府膝下の某所で密談を交わす人影があった。


「相変わらず目立つ頭だねえ。お忍びなんだから気を遣えば?」

「ご心配ありがとうございます。

しかしながら、目立つからこそ都合の良いものもありますからね」

「心配?まさか。心配するとしたらあんたの土産だけさ」


 酒場の立ち飲みようの小机に肘を預け、女は草臥れたように笑った。

営業どころではないのか、薄暗い店内は蛻の殻だ。

盃を満たす葡萄酒は男が手土産に持参したもので、当然演奏などという洒落たものはない。

ただどこからか、鉄が軋み肉が裂ける音、苦痛を漏らす呻きや絶叫、断末魔が響いていた。

そう言えばここから角を幾つも隔てずに、それなりの規模の処刑広場があったなあと男は思い出す。

ここにまでも濃密な血の香りが漂ってくるようで、盃に揺れる酒も心做しか色を深めているようだった。


「教団の奴隷のくせに、こんなところまで来て良いのかい?

下手すりゃ脱走扱いだろうに」

「幸いにも我が御主人様は寛大ですので。

多少のことは笑って許して下さいます。

まあ月が変わったのでそろそろ厳しくなってくるでしょうが……懐かしの楽団とも、暫しお別れです。

その前に色々と会わねばならない人もおりますし、帰路は慌ただしくなりそうですね」


 女の言葉に、男は笑みを含んだ声で返す。

その拍子に黒い帽子から青い髪が一房漏れた。


そして彼らは取引を始めた。

まず男が小袋を取り出し、女の前に一つ置く。

それは甘い、どこか蠱惑的な香りを放っていた。女の目が僅かに崩れる。


 辛苦を忘れる薬である。魂を奪う毒である。

ここでそれは、立派な通貨として機能する。

果たして女は口を開いた。


「……医師団は東部から中央部が壊滅状態。

ただしトワドラは無傷だそうだ」

「はは、それなら実際は被害がないに等しいでしょう。

あの北の一帯で、本当の意味で医師団と呼べるのはトワドラだけ。

後は全て添え物のようなものなのですから」


「そうだね、相変わらずどんな手管を使っているのやら……

技術ごと強奪しようにも、妙なちょっかいかけたら疫病を撒き散らしてくるし。

そもそもあれだけ魔獣が彷徨いていたら、おちおち侵攻もできたものじゃない」

「まあ医師団はねえ……その気になれば他を滅ぼして大陸を征服できるだけの力はありそうですから。

それでもそれをしないというのが、尚更不気味なところではありますがね」


 過去、楽団が医師団に攻め込もうとしたことは何度かある。

だがそれは尽く失敗に終わった。

地形的な難もあるし、何より魔獣が盛んに行き交う戦場でなど誰も戦いたくないのだ。

更には後方で疫病を撒かれるなどという惨事も起こった。

そんな風に数百年間攻防を重ねた末、結局は対価と技術をやり取りし、程々に付き合っていくのが正しいのだという結論が出ていた。

もう百年以上も前のこと――初代総帥が台頭するよりも前の、遠い昔のことだ。


「それでは、今度のことについて総帥はなんと?」

「……見たところ子どもたちに頻繁に密使を出しているようだけど、内容はよく分からないな。

……後、暫く前にまた顔を変えたそうだ。

実際に見たわけじゃないけどね」

「それはまた……医師団の技術とは何とも、恐ろしいほどのものですね」


 総帥府の下働きである女は、自分が見聞きしたことを淡々と伝える。

その前にまた一つ小袋を置いた。


 被害状況をまとめると医師団が半壊し、教団も二次被害を受けたが、竜が西に逸れ、続いて楽団が被害を受けた。

更に魔獣が湧いて出て、北側はどこもその対処に追われている。

新年に出現した脅威は竜だけではない。

それに付随して、魔の月並みの魔獣がやって来たのだ。

殆どは城壁で防げる程度の弱小だが、率いているのが竜なので洒落にならない被害が出ていた。


「この周辺の様子は見ての通りだよ。

ツェレガは大分やられたし、このオルノーグも無傷じゃ済まなかった。

今はブラスエガの方へ行ったから、あっちでも被害は出るだろうねえ。

……そしてこのまま何事もなければ、竜は教団へ。

さてどうなることやら?

あんたたちの神様は、守ってくれるのかね?」


「正確には私の神ではありませんが。

ですがそうですねえ……ここで加護がなければ色々切れてしまいそうな気はしますね。

彼ら教徒の魔獣への恐れと敵意は、並々ならぬものですから。

今は聖者様を信じて踏み止まっているようですが……」

「へえ。聖者ねえ……」


 女はほぼ上の空で返す。

関心がないのだろう。

その顔を見て、男もそろそろ切り上げ時だと判断する。


外では相変わらず、誰とも知れぬ者の断末魔が響き渡っていた。

人員を入れ替えたのか、先程よりも威勢が良い。

きっと総帥は城内の観覧席から見物しているだろう。


「情報提供、ありがとうございました。

ここでお別れですね。

今はそちらがあるのですし、帰路でならず者に会わぬようお気をつけて」

「どうしようと終わる時には終わるさ。

死んだらそうだね、祈ってくれよ」

「無論のことです。邪道の祈りで宜しければ」


 成り行きで何度か取引をしたが、それもここまでだ。

再会の可能性は高くはない。

今生の別れになるかもしれない挨拶を終え、いざ出ようというところで男は一度辺りに視線を向ける。

ぐるりと酒場を見回してから思い浮かんだ感想を述べた。


「と言うか。先ほどからうるさくないですか、ここ。場所選びを誤りましたかね」

「今更それを言うか」


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