騎士団
一方騎士団では、竜の出現は驚きを以て迎えられたものの、激震と言うべきほどの動揺はなかった。
例えばサフォリアの城では、二人の青年がこのような会話を交わしていた。
「……奇妙なことになりましたね、マルセロ様。
我々の方針にも、多少の修正が必要になりそうです」
「まあそうですね。
竜が南下してくることは、考えづらいですが。
魔獣は基本的に、騎士団までは来ませんからね。
そういう被害は、あまり心配しなくていいでしょう。
……僕らの場合、最も怖いのは人間です。
……昨日早馬が来たことは知っていますね?
改めて、教団と話し合う機会を設けねばなりません。お互いのために」
マルセロと呼ばれた男は悠長な口調で応える。深い茶色の髪に端正な面差しをしており、一目で貴族と分かる身なりだ。
それはもう一人の方――クライドも同様で、血の繋がりを感じさせる似通った容貌をしていた。
その表情にも声にもこれといった危機感は見られず、それは騎士団の大凡に言えることであった。
そう、魔獣は北から襲ってくる。
大陸の南側である騎士団はこれに関することについては、殆どの場合高みの見物を決め込むことができる。
それこそが千年近い栄華を支えた。
だがそれも、最早斜陽に差し掛かっている。問題は、それが理解できていない者があまりに多いことだ。
貴族たちの多くは呑気でそして傲慢だ。
だから楽団教団に好き勝手に食い荒らされ、下々は苦しみに喘いでいる。
この騎士団の現状の勢力図を鑑み、クライドは慎重に考える。
その顔にはまだ少年のような幼さが残っているが、声や口調はそれにそぐわず大人びたものだった。
「ロスフィークは……もしも教団が竜によって、壊滅的な打撃を被ることがあれば。
今度こそ雪辱を叫び旗を掲げるでしょうね。
今頃虎視眈々としていることでしょう。
もしもそうなった場合の対処は、どうお考えですか」
「そうですねえ、その時の旗色次第でしょうか。
ですが捕虜返還は、やはりどうしても完遂したいところですので……
教団がその力を保持しているうちは、程々にお助けするつもりですよ。
今は騎士団内で内輪もめしていても、大して横槍が入ることはありませんし」
「…………大公家は、相変わらず不動ですか」
「ええ、全く何をお考えなのでしょうね。
確かにもう衰退を免れることは不可能でしょうが、それならそれで手を打っていけば良いと思うのですが……おっと失礼。戯言ですよ。ちょっと話が逸れましたね……
計画に大きな変更はありません。
君にはもうすぐ教団へ行ってもらいます。
それこそが、今回の取引の総仕上げですから」
「心得てございます。
元首に連なる者として、必ずやサフォリアのお役に立ちます」
「…………」
クライドは顔色一つ変えずに答え、それに却ってマルセロの方が表情を曇らせた。
クライドは彼の従弟にあたる人間だ。
かけがえのない友人であり、彼にとって弟同然の存在であった。
その顔をじっと見つめ、マルセロは眼に悲しみを溢れさせた。
「ああ、クライド……君を差し出さねばならぬこと、それこそ我が身を引き裂かれる思いです。
ですがこれはどうしても必要なこと、分かってくれますね」
「勿論です、マルセロ様。
何があろうと、フィリドール家の一員として務めを果たします。
……このサフォリアのことを、どうかお願いしますね」
従兄弟同士は別れを惜しみ、ぽつりぽつりと語り合う。
その間にも彼らの間に横たわる策謀は、変わらず動き続けていた。
「当初の予定では行き先はエルフェスでしたが、竜の衝撃と混乱があるとのことで、場所も変更されることになりそうです。
それに従い戦略も変えていく必要があります。まず――」
他勢力が竜の衝撃で動きを止めている現状は、彼らにとっては想定外の猶予であった。
この間に、打てる手は一手でも多く打っておかねばならない。
手を尽くさねば生き残れない。
これもまたその一環、危険を押してでも約定を守り、予定通り人質を差し出すこと。
それを通して今後の布石や展望に繋げることこそが、彼らの役目であった。
後から言いがかりをつけられるような隙は見せてはならない。
何より、信頼関係とは小さなことの積み重ねなのだ。
これが教団へ誠意を示すことに繋がるのであれば、迷う余地は無いのだった。




