医師団の長
医師団の長である老師は、何年も前に百を数えた老婆である。
長い歳月を凝縮させたような揺るぎない居住まい。
感情の窺えない、深く夥しい皺が刻まれた顔。
そして真っ白な髪。
その姿は人間と言うより、古木か何かの親類のように見えた。
しかしその口から流れた声は酷く緩やかだが存外明瞭であり、いっそ人間離れした叡智すら感じさせる。
「東部の被害はどの程度のものになると予測されますか?
現時点の推測で構いません」
「……このままでは壊滅、最低でも半壊は免れなさそうです。
それを受けて近隣からも幾つか要請がありまして、住民たちや財産を至急避難させるので、壁の中に受け入れて欲しいと言っています」
「まさか了承してないだろうなあ……?」
そこで割って入った声は老師のものではなく、低い男の声だった。
水晶の一つ、その一つがちかちかと明滅している。
そこから響くのは、闇を揺るがすような酷く重い、不機嫌そうな声だった。
それに進行役は狼狽えることもなく、「とんでもない」と冷静に返す。
そして、新たに一人が華やいだ笑い声を上げた。
「情けないこと。それほど我が身が可愛いのなら、早々に教主の情けに縋れば良かったものを」
北部は元々魔獣の襲撃が多く、北上すればするほどその危険は大きくなる。
それでは何故北が完全に放棄されないかと言えば、第一には資源が取れるからだ。
南は豊かで安全で、農耕に適しているものの、各資源の産出地が乏しい。
石炭、鉄、金属、火薬の原料、そして魔晶石。
その他諸々の戦略資源。
豊かな地は当然他に狙われる。
肥沃な南の地を確保しておくには資源が要り、資源を確保するには北の発掘が必要だ。
医業とは別に、それが医師団を支える主要な産業であり、医師団の各都市はその採掘と管理を担っていた。
だが医師団は三年に一度の採血と試験の実施を除き、基本的に所属する都市を放任している。
何をどれだけ採ってどこへ売ろうと文句は言わない。
資源を横流ししようと、金を横領しようとだ。
そこが教団との最たる違いである。また新たな声が響く。
「……教団であればまだしも……
我らはそういう形態ではない……
教団の北部は……
今ではシュデースとファラードだったか……
中枢に食い込み、あれらはうまくやった方だな……
まあ一長一短あるのだろうが……」
かつての医師団の南、辺境の一部。
今では教団に組み入れられたそれらの地方は容赦ない取り立てと、苛烈な施政を定められたが、その分守備や援護は手厚い。
だが医師団は、楽団ほど無法ではないものの、教団ほど厳格な法を敷いてもいない。
掟を破ろうと、利益を掠めようと、税を誤魔化そうと煩くは言われない。
その代わり、何かがあった時積極的に守っても貰えない。
それを承知の上で教団ではなく医師団を選んだのだろうに、今になって泣きついてくるなど片腹痛いと、そう言っているのだ。
自領が危機に晒されているというのに、そこにあるのは他人事とでも言いたげな空気だ。




