満月の夜
その日は満月の夜だった。
早めに眠りについたシノレは、夢の中で奇妙な光景を目にした。
月光を弾きながら広がるのは一面の、白砂の荒野だ。
真っ白な砂漠のような大地と黒黒とした空、天空にぽつりと浮かぶ銀の月、それ以外は何も見えない。心当たりのない場所だった。
淡い白に輝くその中で所々銀の粒が煌めき、更に強い光を弾き返している。
そこには、何か見たこともないような、巨大な生き物がいた。
鱗で覆われた岩のような体に、大きく広がる翼。
空を覆い、月を隠すような巨体だ。
一切の雑味がない純白の体は、月の光はあるものの暗い世界で酷く目立つ。
その佇まいは白い炎が揺らめいているようだ。
その生き物は明らかに、壮絶な敵意と憎しみを燃やし満身に滾らせていた。
ゆっくりと、恐ろしいほど緩慢に鎌首を擡げたそれは月を仰ぎ、ぶわりと翼を広げる。
夜空へ飛び立ったそれは、世界を揺るがすかのような凄まじい咆哮を轟かせた。
「――――っ!?」
シノレは飛び起きた。
急な覚醒に体がついてこないのか、一瞬目眩がする。
目はこれでもかと見開かれて、全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
今のは、夢か?
どうしてもそうは思えない。
今も咆哮の余波を受けて、辺りの空気が振動している気すらするのに。
鼓動が荒れ狂っている。
体を動かしたのは、殆ど本能的なものだった。
考えるより先に布団を跳ね除けて部屋を飛び出し、廊下を突っ切ろうとすると向かいの扉が勢いよく開く。
「シノレ!!」
「……聖者、」
中から飛び出してきたのは聖者だった。
言い切らない内に手を掴まれ、一直線に走り出す。
聖者も飛び起きたばかりと思しき姿のままだ。
寝間着で髪を振り乱して、足取りも切羽詰まっている。
酷く取り乱した様子で、案の定と言うべきかすぐに足を縺れさせる。
シノレも反応が遅れたが、聖者の体重自体が軽いので引っ張られてもどうということはなかった。
踏み止まり、無理矢理振り返らせると、聖者は蒼白な顔をしている。
それは明らかに恐慌寸前の目つきで、シノレは少し平静を取り戻した。
「……ああもう……どっちに行きたいの!?」
「奥棟の……ウィザール様に、一刻も早くお目にかからなければ」
「分かった。こっち。僕が引っ張るからついてきて」
暗い城を二人して駆け出す。
そこには夜の静けさに似合わない、ざわついた気配が広がっている。
忙しない足音や扉の開閉音、荒々しい息遣い、ここにいる者たちの動揺と緊張がここまで伝わってくる。
この城にいた誰もが、今しがたのあの咆哮を聞いたのだと確信するには充分だった。
そんな空気の中を脇目も振らず駆け抜けて、聖者が向かったのは城主が暮らす一画だった。
幾つもの道を抜けた先に現れた絢爛豪華な大扉が迫ってくる。
「……これは、聖者様。一体――」
「ウィザール様!ウィザール様、いらっしゃいますか!?」
用件を聞こうとする家宰すら押し退けるような勢いで、聖者はそう呼びかけた。
叫んだと言っても良い。
いつになく激しい声に周囲は驚いたようで、すぐに城主が慌ただしく出てくる。
まだ眠っていなかったのか、夜着ではなく洒落た軽装姿で、その顔には疲労が浮かんでいた。
「聖者様、どうなさったのです。それに先程の轟音は……」
「白竜の出現です。都市内部で保護した領民たちの送還を直ちに停止し、聖都に伝令を送って下さい!」
蒼白な顔色のまま聖者が発したその声は、城主への提言に留まることなく辺り一帯に響き渡ったのだった。




