塔の上
続く露台でのお目見えでも、似たようなことが行われた。
聖者の声がけと微笑、それらが広げた波紋によって、動揺に揺れていた民衆は嘘のように鎮まった。
あれで黙るのか、黙ってしまうのかと、シノレとしては顔が引き攣る思いである。
(聖者は聖者でこれだし……)
今は長椅子に体を投げ出すように座り、肘掛けに顔を伏せている。
明らかに青褪めた顔で、体は冷え切っており、力が入らない様子だった。
部屋に戻るまでは我慢していたが、人目がなくなるや一気に緊張の糸が切れてしまったらしい。
しかし、ゆっくりと休養を取る時間はなかった。
月の終わりが迫ってからのこの局面に、教団は一気に慌ただしくなったようで、聖者はまた呼び出されていった。
ウィザールと何事か話し合うのだろう。
最早お約束のように部屋へ籠もり、意識を研ぎ澄ませようとしたところで、いきなり部屋の扉が開いた。
ぎょっとして、咄嗟に身構えながら振り返る。
「シノレ!暇か?暇だろう、食事に付き合え」
「…………ウィリス様、どうなさったのです?」
特徴的な飴色の髪、灰色の瞳。
そこにいたのは来た頃よりも大分窶れたウィリスだった。
先程彼は、聖者を伴って廊下の奥へ消えたばかりだ。
最近は使用人が来ることも多かったのだが、今日の案内役は彼だった。
聖者の案内を終えて、そのまま急転換でここに直行したらしい。
「実情はどうあれ暦の上では月が明けたのだから、思う様食べたいのだ。
この一月本当にきつかったから。
最近は事件続きで忙殺されていたし、ここらで一つ息抜きがしたいわけだ」
本気で辛そうな声で肩を震わせ、ぐるりとシノレに向き直る。
そしてゆったりとした袖で苦笑を浮かべた口元を隠した。
「でもまあ、流石にこんな状況で、大っぴらに羽目を外すのは皆にも悪いからな?
だからシノレ、少し付き合ってくれ」
そう言って連れて行かれたのは、城で一番高い塔の上だった。
聖者の部屋の窓から見たことはあったが、立ち入るのは初めてだ。
湖の上に少しせり出すようなそこは恐ろしいほど見晴らしが良く、夕の残光に鏡のような湖が照らし出されて、まさに絶景と言うべき光景が広がっていた。
「さて食うか。お前も遠慮はするな、たんと食べて育つが良い」
「…………では有り難く、ご相伴に預かります」
そして、屋外に設えられたテーブルの上に広がる光景も。
野菜に木の実に肉に魚に甘味に良く分からないものにと、とにかく色々所狭しと並べられ、何だか輝いて見える。
食前の祈りを済ませ食事が始まってから、珍しいことにウィリスは殆ど口を開かなかった。
ただ黙々と、流れるような手捌きで次から次へと供された料理を平らげていく。
その食べっぷりを見て、本当に粗食が辛かったのだろうなと思った。
一緒になって豪華な食事を味わう。
噛まなくても解けるほど柔らかく煮込まれた肉を呑み込みながら、故郷で口にした肉はえずくほど生臭いか顎がいかれるほど固いかのどちらかだったなあと考えた。
だから肉類は長らく嫌いだった。
まあ、そもそも肉自体食べることも少なかったが……凝った盛り付けや味付けを堪能しながら様子を窺っていたら、ウィリスが漸く手を止めた。
「……はー、落ち着いた。
さて、本題に入ろうか。
次の品は暫く寄越さないように」
そう給仕に言いつけて、代わりに何か箱を持ってこさせる。
その流れに、ここに呼ばれた要件は、食事の相伴だけではないと感じ取り、シノレも居住まいを正す。
「シノレ、こちらへ。その位置では話しづらい」
言われるがまま移動し、長いテーブルを挟んだ向かい側から、角を挟んだ近くに座る。
その間に皿が下げられ、綺麗に片されたテーブルにするすると広げられたのは大陸地図だった。
東の教団、西の楽団、南の騎士団、北の医師団という、お馴染みの四勢力。
そして教団、楽団、騎士団の間に、底辺が長い三角型をした中立地帯がある。




