胸に巣食う不安
『どうなるのだ、この世界は、我らは』
『まさか、このまま月が明けないことがあれば――……』
十五日を越えた頃だろうか。
祈りの中、誰にも会っていないのに、どこからかそんな声が聞こえてくることが増えた。
実際に声に出されたものなのかは分からない。
だがそうした不安が人々の心に蔓延していることは疑いようがなかった。
魔の月は元々沈黙を是とする期間だ。
実際あからさまに話し合ったりはしないのだが、それでも静寂とは遠い、ざわついた気配が人々を包んでいくのが分かった。
毛先が焦げ付くような、肌をざわつかせるようなその感覚は日増しに大きくなっていく。
その理由は他でもない、魔獣が次から次へと襲ってくるからだ。
元々このエルフェスは南よりで海からも離れた、魔獣の襲撃を受けにくい立地にある。
だというのにこの数日、大砲の音が鳴り響かない日はない。
最近では、半日以上ずっと砲声が鳴りっぱなしだった日もあった。
今年はまた、魔獣の攻勢が妙に激しい。
例年とは比較にならないほどだ。
魔獣に攻め立てられる魔の月も、折り返しに入れば徐々に落ち着いてくるはずなのだが、寧ろ更に激しくなっていると、そんな不安が広がっていた。
そこまでいかずともこの襲撃が長引いたために、他勢力との均衡が崩れるようなことになれば、どうなってしまうか。
かつては魔獣を打倒した、華々しい騎士の活躍も語られたものだが。
技術の進化や兵器の開発によって、個人の武勇が物を言う時代ではなくなった。
人が弱ったのか魔獣が強くなったのか、弱い魔獣の細かな襲撃はほぼ常に継続している。
倒せたとしても魔獣の血と骸は瘴気となって大地を汚染するので、人が生きられる地はどの道狭まってしまうのだ。
千五百年前の大崩壊、それに続いた惨劇の歴史のように。
人々の心には、いつかまた大崩壊の日が再来するのではという恐怖が根強く息づいている。
誰もが昼も夜もなく、息を殺して身を潜め、耐えるしかない、かつての日々が。
『黎明』が現れるまでの暗黒期、大陸のほぼ全域において生産力が格段に落ちた。
いつか来るかも知れないその日のために、少しでも蓄えを増やすためには、実り多い土地や資源や工業地帯は幾らあっても良い。
より万全に、より有利な状態で厳しい時代を迎えられるように。
今も尚、人間たちは日々相争っているのだ。
今は魔の月と呼ばれるこれも、年を経るごとに長引き、やがて一月では収まらなくなるのではないか。
いつの日か再び、永遠に魔獣に襲われ続ける世界が訪れるのではないか。
人々の胸に巣食っているのは、そうした不安だ。
実際長い目で見ると、魔の月の期間が徐々に長引いていっているのは確かだ。
シノレも、ある意味最前線とも言えるような苛烈な襲撃を受ける地で育った。
教団領のことはそこまで分からないとは言え、これが異変であることは分かったし、不安に駆られる教徒たちの気持ちも分かる。
聖者はこの頃、特に口数が少ない。
人と話す機会が減ったからというのもあるだろうが、それを差し引いても奇妙に塞ぎ込み、考え込むことが増えた。
シノレもシノレで気が塞いでいた。
あれからというもの、毎日あの良く分からない夢を見るのだ。
闇の底で見知らぬ誰かが泣き続ける夢――




