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ルーヴィールの門

「私はご遠慮します」と、楽人の男は観劇を辞退した。

劇は終幕までに二時間かかるそうで、それでは予定に間に合わないらしい。


エルフェスの劇場は外観も見事なものだったが、内部は更に凝った作りだった。

流石にシルバエルには及ばないが、失われた人類の技術、今や届かないそれの圧倒的な威容を感じる。


ホール全体を形作るのは、磨き抜かれた木材のようだった。

茶色に艶めくそれは、光沢のある滑らかな材質だ。

至るところに良く分からない細かい模様が彫り込まれ、様々に光を反射させている。


「早いものだな、開幕まで後少しか……

シノレ、本当に良いのか?

あまり気が進まないようなら、今からでも断って来てやるが」

「お気遣いありがとうございます。

ですが大丈夫ですので……

寧ろ楽しみ、かも知れません」

「そうか……?まあ気楽にな。

二時間は続くのだし、肩肘張っていては保たんぞ」


ウィリスは少し思案するように首を傾げる。

眼下には大きな円形の舞台が広がっていた。

用意された席は二階部分の最前列中央である。

観劇が初めてのシノレでも分かるような良い席で、舞台の隅から隅までが一望できた。


ルーヴィールの門。

それはシルバエルで何度か聞かされた逸話の一つだ。

語り継がれる聖者の奇跡、生ける恩寵と、福音と。

教団にとっての聖者の姿が、今からここに映し出される。


そして、舞台が始まった。


……かつて、国を傾けるほどの美女を傾国傾城と呼んだと、貧民街の師に聞いたことがある。

その時は話半分に聞き流したが、今思えば聖者もそれに当て嵌まるのだろう。

事実その美で都市を制覇してのけたことがあるのだから。


舞台は七年前の教団南部、ルーヴィールの街だ。

エレラフ、スーバよりもやや南東に進んだ地点の小さな街だった。

エレラフとスーバが落ちたことで、ここはいよいよ身を守る術を失った。

教団の脅威を前にして、人々の意見は分裂した。


『こうなっては、致し方ありません。

これも時勢でございましょう』

『いやしかし、先祖伝来の信仰を捨てることは……!』


奇妙な厚化粧をした舞台の俳優たちが、そんなやり取りを交わす。

こっそりウィリスに教えられたが、あれは異教徒の役柄を演じる際のお約束らしい。


騎士団の民の例に漏れず、彼らは騎士団に伝わるマディス教を奉じていた。

教団の拡張と騎士団の圧迫を受けて尚、騎士団に留まっていた者たちだ。

教団に追従することに、心理的な抵抗は間違いなくあっただろう。

かといって、少しでも抗えば酷い仕打ちを受けることは目に見えている。

ましてエレラフという実例がすぐ近くにある。

そのどうにもならない現実を前に、ルーヴィールの民意は教団への早期降伏に傾いていった。


だが――断固として抗戦を叫ぶ者たちが、友好派を中央塔に監禁することでそれを封じてしまったのだ。

追い詰められながらも彼らは徹底抗戦を叫び、都市を守る体制を築き上げた。

教団が仕掛けた懐柔も恐喝も無駄に終わり、最早殲滅しかないかと思われた。

そんな都市を前に、先代教主は――……


その時舞台が、強い光に包まれる。

そして舞台中央に現れたのは、一目で主役と分かる着飾った女優だった。

照明を工夫してあるのか、白装束に包んだ姿はそれこそ輝かんばかりだ――無論、聖者のそれとは別物であるが。

まだ少女とも言えそうな容姿の彼女は、舞台に設けられた門の前へ進み、澄んだ声を上げた。


『――この門をお開け下さい。

開けて下さいませ。

我が兄弟、我が朋友、我が道連れよ。

この上の流血を神はお望みではありません』


戦意に満ち溢れ、今にも破裂しそうなそこに聖者は唯一人赴き、ルーヴィールの門を叩いたのだ。

一本の矢も剣も使わず、ただ門が開かれることを願い、呼びかけた。


当然ながら、門を守っていた兵は矢を射掛けようとした。けれどできなかった。

理由は単純明快だ。


聖者が美しかったからだ。


『――……』

門兵に扮した俳優が、小道具の矢を取り落とした。

天を仰ぎ、敬虔に身を震わせる。


聖者を害すること。

それ自体は、別に不可能ではないだろう。

けれど同時にそれは、非常に難しいことなのだ。

大罪に踏み入るような、途方もない畏れ多さに打ちのめされる。

シノレ自身もいつぞや感じたことだが、それと同種のものを門兵たちも感じたのだ。


(誇張は、あるんだろうけどね……)


それでも聖者のあの麗姿が、ある種の人間に絶大な影響を及ぼすのは事実だ。

異質な神を退けんと奮い立っていた心が、それで折れた。


戦意喪失した門兵たちは指揮官の元へ赴き、「あの方に矢を向けるなどできません」と涙した。

不甲斐ない配下に腹を立て、自ら殺さんと赴いた指揮官も剣を取り落とした。


いつしか門前には人が集まっていた。

聖者は呼びかけを続け、遂にそれは受け入れられた。

誰もが涙を流して神を認め、それに抗った自らの過ちを悔いたと言う。

かくして無血でルーヴィールの門は開かれた。


教団はその降伏を受け入れた。

かくして街は明け渡され、幽閉されていた者たちも解放される。

最後には力を合わせてルーヴィールの再建を誓うのだ。


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