異なる常識
夫人と別れこちらを向いたウィリスは、「あれは、この街の商家の夫人だ」聞いてもいないのに説明をし始めた。
「教団内の諸都市と取引をして、手広く商いをしている。
時々は珍品を発掘して、持ってきてくれることも……父上は珍しいものがお好きだからな。
昨夜の鑑賞会でも特大のアンモナイトがあっただろう?あれとかだ」
「はい、覚えています」
……あれは忘れたくても中々忘れられないほど強烈だった。
台車に載せられて運び込まれてきた巨大な化石の存在感と来たら。
どう反応すれば良いのか分からなかった。
「……ご一緒にいたのは、使用人の方でしょうか」
「いや、あれは奴隷だが」
「…………は?」
ぴたりと足が止まった。
ウィリスが「どうした」と振り向くのにも構わず、二人連れが去っていった方へ振り返る。
(……あれが、奴隷?下手したら楽団の平民より良い身なりをした、あれが?)
遠ざかっていく背中を食い入るように見つめる。
その後姿に、覚えのある何かを探り出そうとするように――けれど何を見つけたいのか、自分でも良く分からなかった。
「…………」
そんなシノレの顔を、ウィリスは数秒見下ろして、「少し話をしようか」と言った。
そのまま大通りから外れた脇道に入る。
少し奥まった場所は小さな広場になっており、大きな円形のベンチと、それを取り囲むように幾つかの店が並んでいる。
黙って歩いていると、また声を掛けられる。
「あらウィリス様、こんにちは。どうでしょう。こちらをお一つ」
「ああ、ありがとう。シノレ、そら」
また食べ物を渡される。
そうしながらも更に進み、別の店の店主に「奥を貸してくれるか」とウィリスが問いかける。
すぐに通されたテラス席は、こじんまりとしつつも眺めの良い場所だった。
やや高い位置にせり出しており、街の賑いがよく見える。
大きめの椅子と机が置かれており、人は少なかった。
「先程貰った菓子があるな?ここの品もすぐに来るだろう。
見つかる前に食べてしまえ」
そう促されるままに口をつける。
粗く引いた粉の生地に、大量の干し葡萄を練り込んで焼き上げた菓子だ。
大きさは掌に収まるほどだが、固いので顎が疲れる。
「良い良い。子供は沢山食べるべきだ。
見ているこちらも癒やされる」
そんなシノレにウィリスはにこにこと、上機嫌に頷く。
そう言いながらシノレ以上の量を食べているのだが。
何時間も休まず食べて喋って動き回って、無尽蔵の体力でも持っているのだろうか。
色々と過った考えを、菓子で口元を隠してのため息で吐き出した。
「…………」
口に残った塊を、力を込めて噛み締める。
素朴な粉の風味と、強い甘みが舌の上で弾けた。
「……先程のことだが」
シノレが菓子を食べ終えると、程なくして店員がやって来た。
飲み物や軽食類が出揃った後、ウィリスはそう切り出した。
その目はシノレではなく、顔の斜め下辺りをぼんやりと見つめていた。
「あの者は奴隷ではあるが、五代続けて同じ家に仕えている。
その間教団へ間接的な貢献や寄与をしており、しようと思えば受洗を経て教徒にもなれる身だ」
「では、どうしてそうしないのでしょうか」
考えるより先に口が動き、そう切り出していた。
それが一番気になることだった。
楽団では、奴隷であり続けたいと欲する者など一人もいなかった。
教団には一定の功績を上げれば受洗が認められるという救済措置がある。
誰もがそこを目指すものだと、ずっとそう思っていた。それなのに。
つい目に力が籠もり、睨むような目つきになってしまう。
それをウィリスは見つめ返した。
「奴隷は主人の財産の一部として扱われる。
生かすも殺すも主次第。
それは、ある意味で主人の庇護下にあるということだ。
教徒になったらなったで、何かと義務や責任や危難が付き纏う。
主人との関係が良好で、待遇に不満もないのなら、留任するのも一つの処世だ」
「……そう、なんですか。
教団では、そういう……」
それだけをやっと返し、シノレは暫く黙った。
あまりにも、それまでの常識とは異なることを言われて思考が止まってしまったこともある。
感情やら知識やらがぐるぐると溢れて追いつかない。
教団に来て以来、これが一番の文化的衝撃かも知れなかった。
奴隷とは悲惨なものだ。
唾棄され、蹴られ殴られ追い立てられて、消耗品としか見做されない。
教団においても、多くはそうだろう。
けれどそうでない者もいて、それらが一括りに奴隷と称される。
それを飲み込むのに、少し時間がかかった。




