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崩れそうな聖者

そのまま当主全員で乾杯する流れになり、そこからはいよいよ本格的な話し合いが始まるようだった。

シノレは自分の役割が終わったことを感じ、ザーリア―当主に目配せされたのを良いことにさっさと退出した。

外の空気にようやく息をつこうとして、少し顔を顰めた。


ここまで来ても僅かに残る。

神殿の、教主の、教団の香だ。

以前ナグナに教わったが、聖都中央の聖山に分布する香木から採れるものであるらしい。

教団で極めて神聖なものとされ、神殿の催事や教主の身支度に用いられるその典雅な香りは、シノレの知る何物にも似ていない。

悪臭や腐敗臭、或いは薬物のそれとは明確に違うのに、どこかこちらを撥ね付けるような、萎縮を誘う独特の癖があるように思えた。


「『聖なる木の導きに寄りて羊らは在るべき処へ還らん。かくて安寧の都を得べし』か……」


場を離れても微かに残る、まとわりつくようなそれにシノレは眉を寄せる。そこに、声がかけられた。


「シノレ……!」


もう日は沈みかけで、辺りは荘重なほどの赤と金の色彩に染まっていた

。一時より大分日が長くなりはしたが、もう空気には陰りが滲み始めている。

外に出て人目がなくなってすぐ、聖者が駆け寄ってきた。

余程慌てているのか、足取りが危なっかしい。

周りがぎょっとしたように振り返るのを見て、シノレの方からも足早に歩み寄る。

歩調を緩めた聖者はシノレの前まで辿り着くと、食い入るように顔を見つめる。

その顔に何となく張り詰めていたものが緩んで、気が抜けるのが分かった。


「……シノレ、」

「取り敢えず歩こう。目立ってるし


どうせ帰る場所は同じなのだ。そう思って歩き出す。

聖者もそれについてくる。暫くは互いに無言だった。

夕暮れの匂いを含んだ風が、静かに吹き渡っていく。


「…………」


聖者が言葉に迷っているのを感じ、目で窺う。

先に沈黙に耐えきれなくなったのは聖者の方だった。

言葉を探すように少し俯き、白金の髪が肩を流れた。

夕日に染まって色を濃くしたその向こうから、囁きが聞こえてくる。


「……シノレ……先程の、後見のことについてですが。

もしや猊下に、予め何か言われていたのですか?」

「何も言われていないけど……

何、不満だった?猊下に引き続き後見を頼んだこと――」


何気なく隣の顔を見て、シノレは絶句する。

いつもと何も変わらず、美しいままなのに。

聖者の姿が、今にも罅割れそうに見えた。

目が、唇が、崩れそうに危うく揺らいでいる。


「……何。どうしたの、本当に。猊下と何かあるの?」


答えはなく、冷えた沈黙が落ちる。

時間が止まったようだった。

吹き抜ける風の冷たさが、夜の気配を運んでくる。

か細い、今にも途切れそうな声も。


「――猊下は、私を……」

「聖者様、シノレ……!」


不意に別の声が割って入ってきた。

振り返るとエルクがこちらに向かってくる。

流石に走ってはいないが、殆ど駆け足寸前の速歩きだ。

風を含んで翻る銀髪は、薄暗い中でも鮮やかだった。


「良かった、追いついて。まだお帰りでなかったんですね……」

「……エルク様。どうかなさいましたか」


そう答える聖者は、既にいつもの顔と声に戻っていた。


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