貴族の価値観
こうした席でシノレが発言を求められることは殆どない。
多くの教徒が会いたいのは聖者なのだから、敢えて何かする必要はない。
それでも聖者の近くで貴族の話を聞くともなく聞く内に、前にも増して教徒との断絶を感じていた。
何と言うか、根本的に感覚が違うのだ。
レイグを見るにつけ、リゼルドと反りが合うわけがないなとしみじみ思う。
多少なりとも貴族と関わるようになって、痛感したのが価値観の違いである。
教徒が異様なまでに先祖、家系、血縁を重んじることは知っていたが、聖都ではそれが取り分け激しい。
何世代も前の因縁で睨み合うのも日常茶飯事だ。
彼らはその正負を問わず、累代の遺産を何よりも重視し、先祖の財産のみならず、その遺恨や渇求すらも子々孫々延々と引き継ぐのだ。
シノレには、何度聞いてもそれが分からない。
結局生い立ちが左右するものなのだろう。
彼は親という存在への意識が希薄であるし、まして遥か昔の先祖など遠い他人としか思えない。
負けを引き摺るのは良い。
奪われたものの奪還に執念を燃やすのも良かろう。
それがかつて紛れもなく自分のもので、喪われたものであるならば。
しかし、先祖の負けを引き摺ってどうするのだ。
血の繋がりがあるとしても所詮他人、その妄念を引き継いだ挙げ句、わざわざ不利になりかねない状況を招くなどいかれている。
しかもそれが奪われた先祖の遺産のためなどと、二百年前の亡霊に取り憑かれているようなものではないのか。
ただ、まあ。そんなことを言えば袋叩きにされることは目に見えているので、シノレとしてはただ黙して控えるのみである。
そういう生き方や考え方がここにはあり、そんな彼らを怒らせてはならない。
それだけ知っておけば良いというのがシノレの結論だった。
「猊下も下賤の家よりも我が家を重んじて下さっているご様子。有り難いことです」
「…………」
聖者はそれに少しもの言いたげな顔をしたが、結局話を逸らした。
「……どうか、どのようなことになるにせよ。
この聖都で一人の怪我人も出ないようにと、そればかりを願って止みません」
「どうぞご安心を。
聖者様に害が及ぶようなことはありません。
遠からず聖都には平穏が取り戻されるでしょう」
会話が噛み合っていないが、その自信は空手形ではない。
かれこれ一月と少しの聖都の騒動にも、決着は着実に近づいている様子だった。
使徒家同士が権勢を争う手段は大まかに分けて三つだ。
ワーレン家との婚姻、枢機卿位、聖都における勢力図である。
一つ目は言わずもがな、どれだけ自家の令嬢をワーレン家の伴侶として輩出できたか、もしくはワーレン家令嬢の輿入れを迎えられたかである。
二つ目も同様だ。枢機卿の半数近くはワーレン家であるが、残りの椅子をどれだけ勝ち取れるかで力関係が変わる。
三つ目も似たようなもので、聖都に住む教徒というのは教団の中でも特権階級だ。
ここに派閥傘下の者が多いほどにその家の力も増す。
元々聖都では、セヴレイル家傘下の者が多い。
だが親世代の戦功の大きさ故に、枢機卿位ではややヴェンリル家が上回る。
だがそれも、五年前の余波で幹部が総退陣していることを思えば、影響力としては微妙である感じが否めない。
そして先日、教主がセヴレイル家のエレミアに声を掛けた。
明らかに状況はセヴレイル側に傾いており、多くの者がこの流れのまま完勝すると予感していた。
周囲の囁きに紛れて、別の語らいも聞こえてくる。
「風の噂に聞いたことですが、今日の日暮れには、ヴェンリル家に再び御座所からの使者がお出でになるそうです」
「これであそこもお終いですな。
我々も心置き無く慶事を祝えるようになることでしょう……」
こうした場への出席で新たに発見したのは、リゼルドが聖都で非常に侮蔑されているということだった。
少し耳を澄ますだけでも悪鬼だの狂犬だの餓狼だの、そんな言葉が当たり前に使われる。
シノレからすれば言い過ぎではと思うこともあるが、ともあれそれが聖都の教徒の感覚であるらしい。
近くで語らっている彼らも騒動の集結を予期し、傲慢なほど穏やかに笑っていた。
しかし、多くの教徒の予想は外れた。
その日の日暮れ、使者はヴェンリル家本邸の門を叩いた。
彼が主君の名代として告げたのは、教主直々の、リゼルドの縁談についての打診であった。
その相手として提言されたのは、教主の再従姉妹に当たるワーレン家のイウディアである。




