リゼルドとラーデン
「怠ーーーい……」
その日は運が悪かった。リゼルドが呟いた途端、周囲は俄に緊張が走る。
「最近、不景気なことが多いよねえ。
セヴレイルは調子づいて状況は不味くなるしさあ。
レイノス様のことは信じているけど、こんな状態が続くと嫌気や飽きも来るよ。
ここらで何かぱーっと、眠気覚ましでもしたいなあ」
「……当主様。
ここは聖都でございますので、ドールガと同じようには参りません。
あまり無茶をなさいますと、先々にさらなる支障が出る恐れが……」
「じゃあラーデン、お前が考えてよ。
他の奴らに見咎められずに、僕の気も晴れるような演目を」
リゼルドにそう言われ、ラーデンは強張った額に汗を滲ませる。
セヴレイル家との反目については、一部のヴェンリル側も頭を悩ませていた。
来るべき時が来て、かつての精算を迫られることは何年も前から承知していた。
どうにかこうにか繋いできた糸が切れただけなのだ。
先日教主がセヴレイル側に傾いたことで一気に足場が狭く、不自由なものになった。
しかし、いやだからこそここでリゼルドに戦線離脱されては困るのだ。
配下たちの不満が爆発し矛先が聖都や他の教徒に向いた時、止められるのはリゼルドしかいないのだから。
政争に飽きたと言うが、それで配下の教徒たちを見捨てられては困る。
何とか繋ぎ止めなければならないが、自分の進言でリゼルドの立場が悪化しようものなら、家族共々奥方に睨まれる。
それは絶対にあってはならないことだった。
八方塞がりとはこのことだ。
結局彼は、無難な言葉で主人を宥めるしかできることはない。
「私ごとき非才には、当主様のお心に適う演目の考案など到底不可能です。
どうか、お気持ちを確かに……麾下の動揺もいよいよ膨れ上がっています。
この上当主様が匙を投げてしまわれては、本当に収拾がつかなくなり」
「椅子」
やや低まった声にそう告げられ、考えるより先に膝をついた。
地面と平行になるように身を屈めると同時に、勢いよく腰掛けられる。
決して重くはないはずの少年の体が、しかし巨岩のように感じられた。
頭皮に痛みが走り、強制的に体勢を整えられる。
「……あの時ベルダット様、すぐに来たよねえ。
お前何なの?やる気がないの?」
水を向けられたそれは今更のようなものであったが、言い返すことはできなかった。
逃亡奴隷を駆り立て、聖者と出会った時のことを言われている。
「……当主様の御心に沿えなかった、我が身の不甲斐なさを恥じ入るばかりです。
何卒寛大な御心を以てお許しを」
確かに、あの時彼はリゼルドの命を果たすことができなかった。
その機会すら与えられなかったと言って良い。
……だが、仮に足止めが成功したとして、待っているのはより不味い事態だっただろうと思うのだ。
使徒家当主と言えども聖者に手を出せばただでは済まない。
あそこまで追手が来ていた以上、隠蔽するにも限界がある。
決定的な場面を押さえられては、ベルダットも建前を取り繕うことはできなかっただろう。
結局彼はどう振る舞ったところで、罰せられるようになっていた。
新当主となったリゼルドと出会った五年前から――いや、それよりもずっと前から決まっていたことだ。
それについて不服や恨みを言う気はない。
そんな気持ちも失せて久しい。
そうでない者も、すぐそこにいるけれど。
無理矢理上げさせられた顔を、リゼルドが覗き込んだ。
大きな目の中で何かの感情がちらちらと揺れる。
氷やその纏う冷気を思わせる、銀に近い青灰色。
苛烈な当主には似つかわしくない色だと、ぼんやりと思った。
「お前の振る舞いで進退を左右されるのは、お前だけではないよ?」
「心得て御座います」
「そう。なら良いよ。頑張ってね」
指を広げ、毟った髪の毛を指からばらりと落とす。
そのまま興味を失ったように顔を背けられたので、そのまま身じろぎもしないように体勢を固定する。
椅子は動くものではないから、動いてはならない。
場合によってはこのまま何時間と耐えさせられる。
呼吸と重心を意識し、務めて疲労が貯まらないように構えた。
一方口元に笑みを刷いたリゼルドは首を回し、傍に立っている一人に声を掛けた。
「…………ルーク、ここに」




