透明な壁を隔てた会話
「冬薔薇が美しいですね……」
「御気に召して頂けて幸いです、エレミア嬢」
エルクはその日、婚約者候補として招き寄せた相手と庭園を散策していた。
優雅に整備された庭園は、ここ最近の聖都の騒ぎなど知らぬげに、冬風の中で沈黙を守っている。
体を動かし、外の空気に触れることで少しばかり気が楽になる。
天気が良いからとした提案に頷いて貰えたのは嬉しかったが、気を抜くわけにもいかない。
互いに実家の体面を背負っているのだから、まさか迂闊なことはできないのだ。
元々話すことは好きでも得意でもない。
だが、今となってはそうもいかないので何とか会話を回している状態だ。
「……大分歩きましたね。そこの東屋で一度休みましょうか」
「あ、はい……ありがとうございます、エルク様」
相手の足取りが緩やかになってきたことに気づき、一旦休憩を提案する。
対面に座った相手を、不躾にならない程度に観察した。
緩やかに巻かれた金髪が縁取る白い顔に、控えめな笑みが色を添えている。
可憐な薄紅色のドレスは、冬の空気の中で一際溌剌と映える。
彼女はセヴレイル家当主、レイグの妹にあたる令嬢だ。
「……風は冷たくないでしょうか」
「大丈夫です、天気も良いですし……
ここからの景色も、素晴らしいですわね」
セヴレイル家がこうして形だけでも候補を出してきたのは、エルクにとって驚きだった。
というのも、かの家は極めて血統主義が強いからだ。
使徒家以外は、いや下手したら同じ使徒家すら下賤と見做すような家が、庶子である自分と結婚したがるはずがないと思っていた。
実際セヴレイルは兄の婚姻について、エルクにも分かるほど相当激しく主張を行っていたのだから。
エルクと婚約するというのは、教主の件については身を引くという意思表明となる。
教団では特殊事情がある場合を除いて血族婚や、同じ家同士の頻繁な婚姻は推奨されない。
まして現在のワーレン家本家筋、それも相手が決まっていない者は非常に数少ない。
だからエルクと婚約した娘の家は、教主の縁談を巡る争いからは――少なくとも正妻の座を争うそれからは、降りなければならない。
その逆も然りである。
エルクに優しく微笑む令嬢もその親も、教主の側から打診があれば即座に鞍替えすることだろう。
そんなことはお互いに承知の上で、心移りだ何だと騒ぐ方が無作法というものだ。
それが分かっていたからエルクは、宴の時以来、会いに来る少女たちを淡々と相手していた。
自分の結婚について、そうした思惑が無数に蠢いていることは、幼い頃から感じ取っていた。
彼の立場ではできることは少なく、石のように黙り込んでそれらをやり過ごすしかない。
友人どころか挨拶を交わす相手も迂闊に選べない、そんな重責と不自由さを感じてきた。
だからこそエルクは兄を慕っているという面もある。
ただ仕えるべき嫡子だからというだけではなく、自分とは比べ物にならないほどの重圧の中で、常に微笑んでいる兄を尊敬せずにはいられなかった。
「本当に、御座所の庭園の素晴らしさにはため息が出ます。
いつまでも眺めていたいほどですわ」
「……良ければ、茶菓でも持ってこさせましょうか」
「いえ、平気ですわ。
お気遣い、ありがとうございます。
エルク様は本当に、ご親切にして下さって――」
透明な壁を隔てたまま、儀礼的に微笑み合う。
交わす言葉は近況や教えについてのことで、話題も概ね決まっている。
相手を別人と取り違えることだけに注意して、決まった言葉で似たようなやり取りを繰り返す。
別に苦痛なわけではない。しかし――、
その時視界の端に映り込んだ姿に、思わず腰を浮かせそうになった。
通り過ぎるだけかと思いきや、こちらに向かってくるようなので慌てて挨拶の準備をする。
向かいのエレミアも気づいたか息を呑む気配が伝わってきた。
「エルク、奇遇ですね」
「……猊下、ご機嫌よろしゅうございます。
お会いできましたこと、心から嬉しく思います」
頭を下げたエルクに続き、エレミアも僅かに震える声で挨拶を述べる。
緩く膝を折ったその姿に目を落として。
兄は静かに、微笑んだ。




