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目覚め

思い出すのは灰色の空、くすんだ町並み。淀んだ空気に、何処からか漂ってくる死臭。誰もが幽鬼のように彷徨い、ふとしたことで争いが勃発する景色。

碌でもない思い出しかなかった、それでもシノレの全世界だった場所。

それを見渡し、シノレは走り出そうとした。

かつてはいつもそうしていた、目が覚める度に――。

その時、眼の前に檻の鉄格子が降りてきた。

同時に視界が暗転する。

いや、目は確かに開いていると感じるのに、何も見えない。見えているはずの何一つとして、脳内で像を結ばない。暗い火花が明滅し、酷い吐き気に襲われ蹲る。


次に目に映ったのは病的なまでの純白の法衣の裾だった。

いつの間にか檻を取り巻いていた、仮面のように無表情な男たち。降り注がれる訳の分からない言葉の雨。その中でただ戸惑う。

「これは聖者様の仰せである」

「栄誉あることだ。お前は選ばれた。故に」

「――お前は聖者様にその命をお捧げするのだ」


シノレは寝台から弾かれたように飛び起きた。

意識が覚醒して、最初に目に飛び込んできたのは窓から差し込む光、それに照らされた室内だ。

机と椅子、暖炉、絨毯。全てが綿密な、丁寧な作りをしている。

目を落とすと、寝台が視界に入った。真白な敷布に柔らかい掛布。以前使っていた寝床とは、まさに雲泥の差だ。

そこまで確認してやっと我に返った。無言で身を起こし、身支度を始める。


通常ここに住まいを与えられた者たちは傍仕えがつくが、シノレだけは例外だった。

それはシノレがこの教団で、ある種異端の存在だからだ。

本来ここに住めるはずもない階級――一介の司祭であり、出自が低く、教徒になってから年月も浅い。

そういう身の上だから支度は一人でしなければならないが、それは寧ろ有り難いことだった。


洗顔と整髪を終えて立襟の長着を身に着け、ゆったりとした作りの上着を手に取る。

どちらも無地の白であり、朝の光を弾いて少々目に痛いほどだ。

一目で高級品と分かる、天秤を模した飾りで首元を留め、最後に鏡で確認する

――信じられないことにこの館は一室に一つは上等な鏡台が置いてある――

肩で揃えた銀髪と、淡い青紫の目をした子供がこちらを見返してくる。


「……問題なし。さて行くか」



朝の支度ももう慣れたものだ。さっさと部屋を出て廊下に出、一階に降りた瞬間一斉に視線が突き刺さる。

眉も動かさず淡々と挨拶を述べた。


「おはようございます」

「これは司祭殿。お顔色が良くありませんが、館の寝室は馴染みませんか?」

「お郷がお郷ですから、無理からぬことでしょうね。同情を禁じ得ません」

早速聞き飽きた嫌味が飛んでくるが、シノレは会釈だけしてさっさと歩き出した。

付き合っていても切りが無いし、それで朝を食いっぱぐれると日中が辛いのだ。

追いかけてくるかとも思ったが、今日はその心配はないようだった。


(……少し、いつもと空気が違う?)

一階は共用の空間だ。二階以上も廊下と特別な部屋はそうだが、一階は全てが共用であり、いつでも必ず誰かがいる。

これまで人と顔を合わせずに来れたものの、一階に降りればこうなるのは自然の成り行きだった。

少なくない教徒が犇めいてざわついている。

注がれる視線は決して友好的なものではない。

それもそのはずで、ここは教団の教徒の中でも、司教位以上の階級の者が住まう場所だった。

とはいえ、こんなものは大したことでもない。僅かな食べ物や物資を一日中奪い合う故郷の生活を思えば、笑えるくらい平穏だ。


身分不相応なこの場で暮らす自分が、「司祭殿」と揶揄されていることなどとうに知っている。

陰口を叩かれるなど日常のことだった。

ここでの時間は、もう半年近くに及ぶ。

色々なことを教わった。役に立つことも、そうでないことも。

そして十日後にはいよいよ司教となる。

これは異例の早さだそうだが、別にシノレへの特別扱いではない。諸々の都合からだ。


この教団における叙階は、神の名の元に聖職者として任命される儀式である。

聖職者の階級は助祭、司祭、司教、大司教、枢機卿と上がり、全教徒の頂点たる教主、更に現在は階級外の存在として聖者が存在する。

この聖者は教団の歴史で唯一人、教主によって見出された存在だ。


半年前、教団領に連れてこられたシノレは、何たるわけかその聖者に見出され、助祭を飛び越えていきなり司祭になった。

更に十日後には司教となる。

この教団では階級を上げるのは本来容易なことではなく、代々の教徒の家柄でなければ司教以上に行くのは難しいので、これも例外の特別扱いと言える。

こんな異例の速度で階級を得るのも、単にシノレが勇者と目されているからだ。


一階の人通りは多い。今日は少し空気が慌ただしい感じがする。食堂へ向かって歩きながら、ふとそれを実感した。

(十日後、か)

そうなればいよいよ叙階だ。

その儀式でシノレは真にワーレン教の司教となり、そして勇者となる。


叙階の儀式まで、後十日。


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