#9 浮雲と足枷
確認作業はもっとも重要で、それでいて困難な作業である。
例えば、修理の見積もり。故障内容の確認、使用状況の確認は当然の事、受付手順、取引先へのアポの取り方、キャンセル料や見積もり料金。あらゆる箇所で確認が必須となる。
いや、これだけの確認をしたとしても尚、チェック漏れが発生するのが確認という作業である。
私も生前これでさんざんやらかした。あるいはやらかさなかったらこんな人生にはなっていなかっただろうが、それはさておき。
「あっくん……もうそれ、止めない?」
非常に、難解な状況に陥ってしまった。
時系列を整理しようか。彼女は私が虐められている証拠を指さし確認し、私の不心得を指摘、叱責した。
それに対して私は謝罪するとともに報告書の作成と再発防止の徹底を口にした。
しかし駄目だった。こういう場合、考えられるパターンは凡そ二つ。
一つは業績の改善。要するに徹底徹底とか口に出すのはもういいから結果を残せ。例えば今週で契約N件取ってこい、というやつだ。実現できなくとも何かあるわけではないのだが、これを落とすと関係が急転直下。実質的な詰み筋になるのでN件とれなくともそれに近しい結果を残さなければならない。しかも早急に。
そしてもう一つは金銭ないし飲食を要求するパターン。これが一番分かりやすく、そして昨今では珍しい。何でもかんでもパワハラモラハラと言われる世の中だ。飲みだのなんだのを失態にかこつけて要求するような人はあんまり見たことがない。
さて、どちらだ。彼女はどちらに分類されるのだ。
いや、待て。落ち着け。結論を急ぐな。確認作業の重要性は先ほど再認識したばかりだろう。
まずはヒアリングを行い、そこから上記の二分類を判別、適切に処理を行わなければ。
「光莉さん、大変失礼かと存しますが、それ、とは一体何のことでございましょうか。寡聞にして存じ上げないのでご教授願います」
本来、こんな事を口にすれば一発で激詰め確定だ。「お前何が悪かったのかすら分かっていないのか!!」と。……でも、彼女は優しい。優しさに漬け込むような真似は打算的で好かないが、そうも言ってはいられない状況。で、あれば素直に聞いてしまうに限る。
「……そういうところだよ」
しかし予想に反して彼女は表情を曇らせながら呟くようにそう口にした。
……やはり、駄目か。いや、答えに期待する方が浅はかというものか。きっと彼女は分かっているのだろう。私のこのこす狡い考えが。……ああ、恥ずかしい。恥ずかしくて死んでしまいたい。
「全部一人で抱え込んで、遠ざけて……人の気持ち、もっと考えてよ」
いや、これはもしかして前提が、違う……?
しかし抱え込むも何も今の私は浮雲のようなもの。抱えているものなんて光莉をアイドルにするという目的意識ただひとつのみ。あとは全てが些末な問題でしかない。光莉が関心を寄せるべき事柄なんて何もない。
「抱え込むも何も、私はそう出来るからそうしているまでです。それに、光莉さんはいずれこんな教室に留まらず世界に羽ばたくような人材です。私のような社会のお荷物と関わるのはいつか貴女にとっての汚点に……足枷になってしまう」
「じゃあ足枷になってよ!!」
「……?」
「あっくんが、私の足枷になってよ。……傍に居てよ!!」
「何を、言っているんですか? いや、貴女は何を言っているのか、本当に分かっているのですか?」
「分かってる!! 夢なんてどうでもいい。そんなものは要らない。偶像なんかにはなりたくない」
頭を鈍器でぶん殴られたような、いや、死んだ歳のリフトが伸し掛かってきたときのような衝撃が、全身に走った。
「私は……私はあっくんが……あっくん?」
あり得ない。あれだけ、アイドルになりたがっていたのに。頑張っていたのに。
貴重な青春を毎日歌やダンスの練習に費やしてきた。彼女ならもっと友達と充実した毎日を送れたにも関わらず。それなのに、アイドルになりたくない?
それでは、それではまるで……。
「そっか、僕は、どこまでも君に悪影響しか与えられてなかったみたいだね」
消えよう。いや、消えるべきなのだ。
頑固な汚れは落とすに限る。それが純白の翼についたたった一つの汚れならなおさら。
「ごめんね。……僕、馬鹿だからさ。僕の存在がどれだけ君にとって害悪か、考えもしなかった」
僕は教室の窓を全開にすると、その縁に腰掛ける。
……もう、既に一回は死んでいる身だ。なら二回目も変わらない。どうせまた転生して苦しむ羽目になるだろうが、その時はその時だ。
「さようなら、光莉。どうか、僕を忘れて、幸せにね」
「え」
その日。
僕は教室の窓から体を投げ出した。