#8光莉
私には夢があった。
アイドルになるという、女の子の中ではありふれた夢が。
きっかけはテレビで見た名前も知らないアイドルのコンサート。綺麗だった。キラキラしてた。それを見て皆が笑顔になってた。
だから単純な幼心は憧れを抱いた。そうなれたら、素敵だろうなって。
「ママ!! わたしアイドルになりたい!!」
それが全ての始まりだった。
毎日オモチャのマイクを片手に歌った。踊ってみた。真似してみた。
そうしたら、パパやママは笑った。
それが私にとっては嬉しかった。……なりたいものになれるのだと、そう錯覚するくらいに。
でも、それが間違いだったと早々に思い知った。
「申し遅れて大変申し訳ございませんでした。私は古部敦也と申します。ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
その子は、女の子みたいだった。
華奢な手足に、当時の私よりも小さな背丈。周りによくいる男の子っぽさを微塵も感じさせない立ち振る舞い。そして……何もかもを諦めたような。世界に絶望し切っているかのような、暗い瞳。
初めて見た絶望の表情に、馬鹿な私はこう言った。
「わたしね、アイドルになりたいの!! だから、わたしのまえでないちゃだめ!! わらってわらって!!」
家族に言うのと同じように。
でも彼は笑わなかった。それどころか泣いてしまった。……ママには沢山叱られたなぁ。
でも私は笑わないあっくんの事が気になって、ずっと構った。いや、今にして思えば構って貰っていたのは私の方か。……私とあっくんは、ずっと一緒に居た。
その中で段々彼のことがわかって来た。
指差し確認を行わないと行動が出来ないこと。
頻繁に左腕を見る癖があること。
悲観的な思考をしていること。
寝ると毎回魘されていること。
そして……対人関係に於いて、誰に対しても他の人と比べても異常なほど壁を作ること。
最初は何の違和感も感じなかった。けれど仲良くなっても敬語は外れない。いや、それどころかあっくんは些細なミスで報告書を書こうとする癖は悪化する一方。
まるで、そうしておけば丸く収まるだろうとでもいう風に。或いはそうしなければならないという強迫観念にも似たナニカに追い立てられて。
……きっと彼は、目には見えないナニカに怯えている。だから、謝罪する時の彼の目は焦点が合わない。瞳孔が開きっぱなしで、けれど黒く、澱み切っている。
どうしてそんなに苦しそうなの?
一体何におびえていの?
そう問うても躱される。
どうにかしてあげたい。笑って欲しい。けど、私はどうしようもなく力不足で。
笑って欲しい人を笑わせられない人間がアイドルになりたいだなんて、おかしいよね。
いや、それどころか私は小学生の時に失敗した。あっくんの歌ったところを、動画を、勝手にアップロードした。
凄く後悔した。あんなに取り乱すあっくんは初めてだった。生まれて初めて、報告書を書きたい気持ちが分かった気さえした。
けど、あっくんはそんな私を許した。
前よりもずっと濃くなったクマのある顔で。疲れ切って絶望した顔で。
……私は、あっくんの笑顔を奪ってしまった。
そして中学生になって、あっくんはいじめられ始めた。動画で披露したボーイソプラノの美声への賞賛は嫉妬へと取って代わり、彼の奇行はいじめへの目印となり、小さなその身体は彼らの嗜虐心を煽ってしまった。
そして何よりも。
「光莉ちゃん、そのおっぱいでけーよなぁ」
「顔も良くてスタイル良くて性格も良いとか最高すぎるよな」
「だな……なんであんな奴の幼馴染やってんだか」
「子が親を選べないみたいなモンっしょ。幼馴染は選べない的な?」
「人付き合いは選べンだろ。ばぁか。俺が言ってアイツとの付き合いやめさせて来てやる」
「おっ、そしたら光莉ちゃん俺の彼女確定な!!」
「誰がお前の彼女だ」
「オッチャホイ!! オッチャホイ!!」
「オイ、誰だよ今の」
私が、いじめの原因の一つになっていた。
気付いた時には頭がおかしくなりそうだった。
それに……思ってしまった。
どうしてこんな人たちを笑顔にしなくちゃいけないんだろうって。
私の憧れたアイドルは万人を笑顔にする、七色に輝くそんな偶像。けど、ファンが善人だけで構成されている訳じゃない。醜い心を持つ人も確実にいる。
けど、アイドルはその人ですら笑顔にする必要が、義務がある。
なら、そんなもの要らない。アイドルになんてなりたくもない。
私の欲しいのは古部敦也君の笑顔だけ。他なんて関係ない。
これは彼から笑顔を奪った私に課された義務で、運命で、願望で、欲望で。
ねぇ、あっくん。
私の方を見て。私大きくなったよ。
皆綺麗だって言うの。全部全部君にあげる。私にあるものなら、何でも。
だからどうか。
どうか、笑っていて。