侯爵令嬢_2
そんな少女に転機が起きたのは
恐ろしい黒服の、険しい顔をした生き物が部屋に現れたことだ
黒服の生き物は常にしかめっ面で、その服装と相まって威圧感があった
でも、少女が恐ろしいと感じたのは
家庭教師の目に浮かぶ、冷たさと毒々しさ
人と会話もしたことのない少女にとって
人の感情や表情を正確に読み取る事は難しかった
でも、元来、鋭敏な感受性を持っていたのだろう
少女は少女に向けられる侍女の怯えも
家庭教師が向ける侮蔑と嫌悪の感情もなんとなく感じ取っていた
そして、だからこそ
今まで通り、己を霞のようにして
この部屋から自分以外の存在が消えるのを
ただ静かに待っていた
でも、それが家庭教師には許されなかった
何かの音を発した家庭教師
それは後から知れば、声、というものだと分かる
でも、誰一人少女に話しかける者のいない空間で育った少女に
それが声だと分かるわけがないし
誰一人、少女に言葉を教えなかったのだから
なんと言われたか、少女が理解できるわけがなかった
家庭教師から何度も同じ音が与えられるのは分かった
だが、少女にできるのは身を潜め、ジッとするだけ
だから、そうした
でも、許されなかった
そして、突然与えられた衝撃
腕が乱暴に掴みとられ、引き倒されるように
ベットから引き摺り出され、床に落ちる
初めて体に与えられた衝撃に
恐怖より驚きが強く、ただ茫然と床に倒れ込む
そんな少女に家庭教師は何かの音を投げつけ
部屋から出て行った
そして、床に座り込んでいると
初めて見る奇妙な恰好をした初老の生き物が
何かの音を発しながら、少女をベットに戻し、部屋を出ていった
次の日から
少女は毎日、家庭教師に同じ衝撃を与えられることになる
同じことをされるうちに
言葉は分からないものの、家庭教師が要求している事は徐々に分かった
ベットから降りてほしいのだろう、ということ
だから、家庭教師が部屋に入ってから
いつも投げえつけてくる、オリナサイ、という音に合わせ
ベットからずり降りた
ただ、ベットから降りたとて
ベットから動くという事を少女はしたことがない
だから、ベットの代わりに床に座り込む
そんな少女に家庭教師はまた別の、タチナサイ、という音を発した
何度も、何度も
だが、その命令が言葉を知らない少女に届く訳もなく
少女はぼんやり座っているしかなかった。