西瓜
昼下がりのとある公園。
私達はブランコをぎしぎしと漕ぎながら夕陽を眺めていた。
日々の高校生活の疲れを癒やす為に毎日公園で屯するのは良いけど、流石に変わり映えしない光景を何年も見るのは飽きてしまう。
「ねぇ、あれ見てよ」
唯一の友達である美穂が夕陽に向かって飛び交う四匹のカラスを指差す。
毎日こうなのだ。夕陽というスポットライトに浴びた生物を引っ切り無しに指差して話題のネタにする。
「はいはいカラスだね」
適当に返すと、決まって別の話題にすり替わる。何年も繰り返して出来た回路なのだ。
しかし、この日に限っては違った。
美穂はその指差した手をそのまま下の方、茂みのある場所にまで持ってきた。
「あそこ」
「はいはいあそこあそこー」
いつもと違うというのはとても不気味だ。
それは日を跨ぐ毎に強くなる。
私は不安が拭いきれなくて、いつもの回路を渡る。
「私ね、あのカラスより綺麗な奴持ってるよ」
美穂はお構いなしに回路を踏ん付けた。
「綺麗なカラスってなに?」
仕方が無いので乗ってみる。
「アルビノだよ」
想定外の言葉が返ってきた。
アルビノの個体なんか滅多に見られない、激レアだ。
「なんでアルビノのカラスなんか持ってるの?」
「取り敢えず着いてきて」
質問には応えず、茂みの方へと走っていく。
僅かな緊張感と不安が顔を濡らす。
恐る恐る茂みの側まで寄ると、そこには沢山のカラスの雛が、大きな巣の中で息を潜めていた。
「なに、このカラスの巣」
「でっかいカラスが作ったんじゃない?」
阿呆みたいなとぼけ方をする。
どう考えてもこの量は有り得ない…ざっと数えただけでも20は越えている。
まじまじと見ていると、黒い羽に埋もれた白いカラスがもぞもぞと縮こまっている様子が見えた。
その私の様子をじっと見ていた美穂は、大きな溜息を付くと、白いカラスの翼を引っ張って目の前に見せてきた。
「良いよねー、このカラス。病気持ちの癖に周りより輝いちゃってさ」
じたばたと暴れるアルビノの雛には気にも止めず、ただ私の方を見つめては溜息を付く。
「良いじゃん、病気でも可愛いし」
「じゃあ私可愛い?」
美穂は両手を頬に付けてにこにこし出す。
勿論手から離れた雛は地面に落ちて、小さな声で唸った。
「雛が可哀想だよ、戻してあげて」
私は注意しつつ、雛を両手に乗せた。
その時ーーー
「ね、その雛食っちゃおうよ」
理解の出来ない音声が鼓膜を突き進む。
「食べても美味しくないよ、それにほら、この子病気だし」
「食べたら美味いかもよ!しかもカラスの肉自体結構美味いし」
「でも雛だし…」
「バロットとか海外では食ってるらしいし平気平気!決定ね!どれ食べたい?」
どんどん訳の解らない方向へと話が進んでいく。
私が構築してきた回路は一体何処に行ってしまったのだろう?
そんな考え事の一つも、美穂は許してはくれない。
手に持っている雛を指差すと、強引にそれを奪い取って巣に戻す。
「その子は私のメインディッシュだからだめだよ、別の子にしてね」
この子はここまで来るともうダメなのだ。
いつも無理矢理決めては、実行する。
だからいつも一緒。
良い事も悪い事も、する時は一緒。
今回も、そうらしい。
「じゃあ、この子にしようかな」
私は適当に前にいた一匹の雛を抱えた。
それと同時に美穂も一匹、適当に掴む。
「アルビノの子にはしないの?」
「だから言ってるじゃん、その子はメインディッシュだって」
美穂は前菜に同じ物を食べるらしい。
私は適当に返事をして、もう帰ることにした。
ーーー夕陽はまだ、沈んではいなかった。
帰り道、美穂と別れた後。
アルビノの雛が気になった。
あの子はメインディッシュにすると言っていたけど、最初に選んだのは普通の雛だった。
何年も一緒にいると気付くものだけど、美穂は好きな事は無理矢理でもするタイプだ。
もしもそれが今回も当てはまるとしたら、どうだろう?
食べたくてたまらなかったら、きっとあの子を最初に選んでいたはず。
でも選ばなかった、それは何故だろう。
そんなこんなで気付いたら着いていた…あの茂みの前に。
茂みの中の巣を確認してみると、雛は皆元気そうだった。
大きな口をあんぐりとさせて、元気さをアピールしている。
私は抱いていた雛を戻して、アルビノを探す。
少し視線を離すだけで、直ぐに見つけられた。
この子だけ口を開けていなかったけど、一応生きているようだ。
雛を抱えて、今日は違うルートで帰った。
もう今日は回路を壊されてるから、ネジを外してもいいのだ。
…なんて悪い考えを持って、私は帰路についた。
ーーー家に帰ると私はすぐに自分の部屋へと駆け込む。
カラスの雛なんて親に見られたら確実に捨てられる。
今日だけ飼って、明日逃してあげよう。
「ほら、好きに動いて良いよ」
何もない私の部屋。
あるのはカーテンとテーブルと、お布団。
小さな隙間とか全く無いから、放し飼いにしてても問題は無い。
手から離れた雛は、テーブルの上でよちよちと歩いた。
くりくりとした真っ赤な目は、何かを伝えたそうに私を凝視している。
「あ、ごはんかな…何かあったっけ。待っててね」
私はドアを閉めて、一階にあるリビングに向かう。
「今日は遅かったね」
リビングに顔を出すと、キッチンの方からお母さんの声がした。
適当に返事をして、冷蔵庫へと手を伸ばす。
「お腹空いたの?」
「あ、うん」
「じゃあこれ、持っていきな。冷蔵庫の中空っぽだから」
そう言って渡されたのは大きなスイカだ。
カラスはこれ、食べられるのかな…
私は貰ったスイカを持って、自分の部屋に戻った。
「ほら、これ……」
未だにテーブルの上でちょこんと佇んでいた雛は、持ってきたスイカを見るなり飛びついて来た。
「やっぱり、お腹空いてたんだ」
雛とは思えない速さで食い荒らす雛に少しだけ、顔が綻ぶ。
すると、雛は途中で食べるのをやめて私の近くに寄って来た。
真っ赤なスイカの欠片を持って。
「…貰っていいの」
きょとんとした私の顔。
きっと私自身も知らない顔をしていると思う。
雛は徐に嘴からスイカの欠片を置くと、またスイカの塊に食い付く。
「…ありがとう」
なんだかこの雛とは仲良くなれるような気がした。
ーーー
朝。
私は雛に突き起こされた。
パタパタと羽を動かして、カーテン越しの窓に移動すると、そこからずっと動かない。
「どうしたの、まだ真っ暗じゃん」
布団から出て外を見てみれば、空はまだ陽の光が届いて居ない。
黒で塗り潰された窓を、雛はずっと眺めていた。
「なにかあったの」
その言葉を口にした時、一つ心当たりが出来た。
「…家族が心配なの?」
雛は私の肩に乗った。
どうやら間違いでは無さそうで、私はこっそりと家を出た。
黒く塗られたのは窓だけでは無いらしく、そこらかしこに薄い灰色の絵の具をぶち撒けた様な、本来の色では無い色をしている。
…そんな事を考えている暇は無い。
私は暗闇の中を馳けた。
いつもの公園。
いつもはオレンジ色で染まっていたのに、ここも黒いままだ。
私は迷う事も無く、茂みの中に手を伸ばした。
…何もいない。
箱の中は真っ暗で、何かが動いている様子も無い。
きっとお腹が空いて逃げたのだろう。
「何も無いみたいだよ」
でも、雛は一向に私の肩から動こうとはしない。
仕方がないので、私はブランコに腰掛けた。
「ねぇ、君に名前はあるの」
返事は無い。
「じゃあ好きな食べ物は」
「嫌いな食べ物は」
「好きな物はある?」
「されて好きな事は」
「旅行は好き?」
「明日死ぬなら何したい」
「…君の名前は、なんて言うの」
気付いたら同じ質問をしていた。
しかし雛は黙ったまま、肩に乗っている。
「そんなに綺麗な身体をしてたのに、名前がないのは可哀想だから、私が名前をつけてあげるね」
私は暫く黙った。
ブランコを漕いで、時間を稼ぐ。
気付けば陽が出て、黒い物があっという間に色を取り戻す。
雛もまた、真っ黒な身体から本来の真っ白な色へと変化した。
「綺麗だね」
私は雛を肩から降ろし、ブランコの上に乗せた。
「じゃあ、君の名前はヒナタ。じゃあね」
名前を付けた所で、私は公園を後にした。
ーーー朝。
私はいつも通り学校へと向かう。
いつもと同じ光景。
ただ一つ変わった事は……美穂が隣にいない事だった。
朝も居なければ、休憩時間にも居ない。
昼休みも好きなはずだった体育の時間にも顔を出さない。
気付けば私はまた公園にいた。
そう。放課後の始まり。
私はいつも通り、夕陽に映る物を探す。
今日は珍しい事に、何も通り過ぎない。
美穂が居ないならもう帰ろう。
ブランコから降りて、公園から出ようとした。
「ヒナタ…」
公園の出入り口の真ん中に、異質な存在感を漂わせている生き物が一匹。
ヒナタは私を見るなり、あの茂みへと飛んでいった。
「帰りを待ってるの?」
私は茂みの前に立った。
そしてもう一度、茂みの中にあるあの箱を、今度は外へ取り出してみた。
……なんという事だろう。
昨日まで元気にしていた雛達は、見るも無惨な物体へと変化していた。
私が入れ替えた雛も、固まり切れずに赤黒い液体となった物に寝そべって浸かっていた。
私は帰ろうとした、その時。
「ほら、あいつだ!彼奴が私が大切に保護していた雛を全員殺したんだ!」
美穂の声がした。
いくつもの光を浴びてーーー
……あれから、四ヶ月と十四日が経過した。
私は解体される様だ。
上の人間も、頭を抱えてガッカリしていた。
「授業態度も良く、少しイカれてはいるが一応一般人達に紛れて生活出来る程の適応力を持ち、物を欲さず、最低限の物でやりくりが可能な優良個体だったのに、殺意が目覚めてしまった」
…と。
私は私か犯した罪が判らなかった。
家族も、美穂にも見放されて、何も考える事が出来ない。
ただただ解体されるのを待つ日々を送っている。
「…ヒナタ」
脳の中で一瞬出てきたその存在は、目の前にいた。
いつの間にか周りは静かで、牢はこじ開けられている。
「待ってよ」
あの日と同じ、何も言わずにヒナタは飛び立つ。
私はそれを、無我夢中で追いかけていた。
ーーー辿り着いた場所は、いつもの公園だった。
ここまで誰にも邪魔される事無く、何一つの弊害も無い。
不思議な感覚に包まれている気がする。
「懐かしい…」
空はいつもの夕焼け。
もうすぐあの真っ暗な世界が訪れる。
私は最期かもしれないと、呑気にブランコの上に立った。
「一度してみたかったんだよね、これ」
立ちながら漕ぐ事でスリルとか、快感とかを得る事が出来るらしい、所謂「立ち漕ぎ」という技。
いつもは美穂に汚くなるからとダメ出しされていたけど、もう解体されるんだしどうでもいい。
暫く立ち漕ぎをしていると、ヒナタが肩に乗ってきてくれた。
「綺麗だね」
あの夕陽にまた、同じ言葉を言う。
そして、隣を見て…私は止まった。
美穂はどうしているのだろう。
何故あんな事をしたのだろう。
美穂が好きな食べ物はお肉。
美穂が嫌いな食べ物は野菜。
好きな物は自分自身と私。
されて好きな事は容姿を褒められる事。
旅行は一緒なら行く。
明日死ぬ事なんて考えない。
私が美穂と長年一緒に居て解った事。
ほんの一部だけど、これだけ遵守しておけば機嫌を損ねる事はまず無い筈だった。
どこで、間違えたんだろう…
辺りは次第に真っ暗になっていく。
私は当ても無く、ただブランコを漕ぎ続ける。
すると沢山のカラスが、あの茂みの中へと入っては出て行くのを繰り返した。
…奇妙な光景だ。
そのカラスに連れられて、ヒナタもその茂みの中へと入っていく。
「もしかして共食いでもしてるのかな」
もしもあの箱がそのままなら、の話だけど。
私はブランコから降りて、茂みの前でしゃがみ込む。
すると、ヒナタが茂みから出てきて、私の肩に何かを乗せて来た。
…真っ赤な、よく分からないミミズの様な物。
「ごめんね、私機械だから食べられないの」
液体の物ならエネルギーに変換出来るんだけど、流石にこの固形は無理そうだ。
ヒナタをそっと撫でてあげると、またヒナタは茂みの中へと潜り込む。
「みんなして、そんなに美味しいものなの?」
私は表面にあった枝葉を手で退かしてみた。
…真っ暗な夜。
あの時見た箱の中は、空っぽの様に見えたけど。
今度ははっきりと見えた。
そこには懐かしく、丸々とした一つの「西瓜」が転がっていたーーーーー