その4
二年生たちも審判の緊張感にほどよく慣れてきた頃、錬成会の終了時刻が間近に迫っていた。
今日はあくまで錬成会、大会ではないので、試合数に限りのあるトーナメント戦などではなく、時間が許す限り他校と試合を重ねる。
流石に全校とあたることは出来ないが、最初の組合わせで決まった通り、一方の学校は会場を時計回りに動き、もう一方は同じ試合上に留まる。さらに他の学校は審判役。これを何度か繰り返し、端から時計回りに動いていた学校が、会場の反対側の端に着いたら審判役と選手側を交代する。
こうして審判も試合も、全参加校が同じように進めていくのだ。
常磐二中も審判役を終え、最後の試合を迎えようとしていた。
「よーし、これで最後だ、頑張るぞ!」
「オッケー、神ぃ。ゆーしゅーの美をかざるために、一本取ってみせるよ!」
「私も!」
三年生三人はやる気充分な意気込み――どこかランナーズハイになりかけだが――をみせていたが、二年生はそうもいかない。
審判役には慣れたようだが、その緊張感はかなり疲労として蓄積してしまったらしい。選手としてはあまり試合に出していない中田まで、かなり疲れた顔をしていた。
「せんぱ~い……。これ最後、最後ですよね?」
「もーやだぁ……」
ぐったり。
まさに、その表現が相応しい。生野を中心に文句が漏れはじめていた。
しかし、最後の試合とは言うものの、まだ終わっていないのだ。気を抜くなど御法度である。
「こらっ」
「あいたっ!」
次鋒として面を着け終わっていた生野を、とん、と小突く。この攻撃は本日二回目だが、面を着けてるうえに油断していれば、後ろからの一撃は避けられないものだ。
生野は先輩ひどい~、などとぼやくが、こちらの言いたいことは理解できたのだろう。疲れた、もう嫌だ、などの言葉はきっちり飲み込んだ。
(そう、それでいいんだよ)
最後の試合。だからこそ、気は抜けない。最後の最後に駄目な試合をして後味悪く終わるなんて!
「さ、気合い入れていくぞ!」
「はい!」
この試合、常磐二中のたすきは赤。紅白の旗が上がる度に、まさに一喜一憂する。
沙奈は予告通りに一本勝ち。生野は最初に一本取られてしまったが、終了間際に一本取り返し、引き分け。気合いを入れ直したかいがあった。
中堅の大崎さんは見事、二本勝ち。文句無しの勝利だ。そして副将の岩谷は頑張ったものの、残念ながら二本負けを期してしまった。
つまり。
「神谷、大将らしくしっかり決めてきなさい。間違っても引き分けでもいい、なんて考えないように」
「はい!」
二勝一敗一分け。私が引き分けでも常磐二中の勝利だ。最悪、一本負けなら延長戦に持ち込める。
だが先生が言った通り、そんなことを最初から考えるようでは心が負ける。絶対に相手に圧倒される。なにせ、相手には後がない。二本勝ちでの逆転勝利を目指し、全力でくる。
(だから、全力でいかないと負ける。沙奈も大崎さんも勝ったんだ、私だけ負けなんて情けないことできるか!)
「大将戦、はじめ!」
主審の掛け声とともに、まず相手が動いた。
大将はいつでも最後の砦、抜群の安定感が求められる。そんな大切なポジションに、常磐二中の三年生のうち、なぜ私なのか――。
初めは、ただ体格の問題だろうと思った。沙奈は素早いし、強い。しかし、時には力技で押し切られる。
けれど、それなら大崎さんは。大崎さんと私の体格に大差はない。むしろ、ほんの少しだが大崎さんのほうが背が高く、返し技などの技術もしっかりしている。
何故。その答えを先生に聞くことはなかった。けれど言葉の端々に、私に――大将に求めているものを知ることが出来た気がする。
(焦るな、でも前に出ろ、下がるな、相手を見ろ!)
剣道には引き技があり、これも立派な一本になる。しかし、最初から引き技を狙うと、体とともに心も退く――それが先生の教えだった。
「やあぁああああっ!!」
面を狙って的確に繰り出された相手の一撃。僅かに顔を反らし、一本取られることを防ぐ。
相手は面を打った勢いそのまま、前に進んでつば迫り合いとなった。こうなれば、まずは相手を崩すことが重要だ。
互いの籠手、つばに近いところを握る右手同士を支点にするような形で、相手の体勢を崩しにかかる。
(組んだら、絶対に負けない!)
引き技を狙って組むのではない。組んだから、引き技をお見舞いするのだ。そもそも自他共に認める私の一番の持ち味は、伸びやかに打ち込む面である。
それでも、大将であるがゆえの意地がある。沙奈にも大崎さんにも、後輩たちにも、男子にさえも、負けたくない。
だから鍛えた。研ぎ澄ました。よく漫画にあるような剣術ではなく、剣道だからこそできる技を。
「めぇええええんっっ!」
「!」
再び相手が先をとる。しかし、これもほんの僅か頭を反らしただけで避け、一本にはさせない。
そもそも相手の引き面は、つばぜり合いにしびれを切らしてのこと。体勢が不十分で、避けるのは簡単だった。
(ここだ!)
「ぃやぁああああっ!!」
午後の最初の試合。あの時、あの選手が見せたように、私も必死の追い面を打ち込む。相手は引き面で大きく下がり、残心はしっかり見せたが、それで審判の旗が上がるわけではない。
旗は三本、しっかりと赤があげられていた。
「面あり、一本!」
(取った!!)
試合上の周りから、突如、拍手の音が鳴り響く。いや、そんなように聞こえた。
今の今まで――主審の声が聞こえるまで、集中のあまり自分への歓声や、周囲のざわめきが耳に入らなかったのだ。無音の世界、なんてカッコいいものではない。しっかりと自分や相手の気合いは聞こえていた。
しかし主審の声がきっかけとなり、音の洪水に見舞われたような感覚だった。
(みんなも応援してくれてる。先生も見てくれてる。――絶対に勝つ!)
まずは、一本。つばぜり合いになってから相手の体勢を崩すことで、慌てた相手に不十分な引き技を打たせてからの追い面。
もしあそこで崩れなかったら、試合場から押し出すのもアリだ。組んだ瞬間、頭をよぎった。会場から出れば反則、二回で一本となるためだ。これは「剣術」には無い「剣道」独自のルールだ。
「二本目、はじめ!」
主審の掛け声とともに、今度は私も動く。一本を取られ、後がない相手は絶対に先手を狙うとふんだからだ。
予想は、的中。
「「めぇええええんっ!」」
互いに面を狙い、相手へ竹刀を打ち込んだ。面打ちといえど、試合では大きく上から降り下ろす必要はない。ただほんの少し、腕を上げて手元のスナップをきかせてやるだけ。
その時に、中心をとっていた者が勝つ。
(先をとれ、中心をとれ、そして最後まで決めろ!)
先生の教えが、数秒のうちに頭を駆け巡っていく。
剣道では一本をとるために、三つのポイントがある。まずは、打ち込み。いい場所に決まっても、弱いもの、浅いものは認められない。
次に、踏み込み。これは打ち込みと同時に行い、やはりしっかりと踏み込んでいなければならない。
そして三つ目が気合い、すなわち発声である。声が出れば力も入る。力が入れば声も出る。勿論踏み込みと同じくタイミングも重要だが、何といっても発声は真の「気合い」でなければならない。
この三つが揃ってこそ、剣道の一本となるのだ。
そして。
「面あり一本、勝負あり!」
(勝った……!)
剣道は武道である。ゆえに鍛錬を積み、さらなる高みを目指して切磋琢磨するのが、試合の本来の目的である。その為、勝利を目的とするのは剣道の志に反する。
それでも、それでも嬉しい。素直に、勝利が嬉しい。
大将の役目を果たせたことも、自分の得意とする形で試合を進められたことも。
「お互いに、礼!」
「「ありがとうございました!」」
互いの選手が全員試合場に並び、改めて礼をする。
こうして今日の錬成会は、良い形で幕を下ろしたのだった。