その3
いくつかの試合を終え、やがて昼休みを告げる放送が館内に流れた。
「ありがとうございました!」
ちょうどタイミングよく試合が終わった二中女子は、竹刀などを置きに更衣室に向かった。そこで胴と垂れを外し、胴着だけの楽な格好になる。錬成会で唯一の楽しみ、昼食の時間がきたのだ。
「一時半からアップを始めるから、遅れないよう時計を気にしておけ。いいな?」
「「はい!」」
顧問の池原先生が全員揃ったのを確認して、午後の指示を出した。午後も試合が続くため、食後に軽くアップをするのが普通だ。
「いただきまーす」
お楽しみのお弁当箱を開けると、中は私の好物ばかりが並んでいた。その上でちゃんと野菜も入って栄養配分に気をつかっている。早朝からこのお弁当を作ってくれた母に感謝だ。
さて、今日はたっぷり朝から練習したワケだが、疲れてご飯が食べられない――なんてことはあり得ない。みんなガツガツとお弁当に食らいついている。
というか、昼食を食べなければ午後は空腹地獄だ。朝より試合数は多いので、軽く死ねる。食べない奴は自殺志願者とみなされても文句は言えまい。
「神ぃ、午後はどこの会場から?」
「ん? えーっと……。あ、午後はA会場だってさ。うちら最初は審判だよ、沙奈」
朝も見た今日の予定表を、再度確認する。今回は審判役が最初で、次に白のタスキをつけるようだ。
「じゃあ、また三年生でやる?」
「ずっと三年生でやってたから、次は二年生に任せれば?」
「お、大崎先輩! なに怖いこと言ってんすか!」
箸を口に突っ込んだままで、生野がこちらを驚愕の面持ちで振り返った。他の二人も同意見のようで、こちらをじっと見ている。
「怖いことないよー。学校ではいつもやってるでしょー?」
「け、けどやっぱり……」
「けど、流石に全部任せるのはキツイでしょ。主審は三年で、副審を二年にやらせたら?」
「あ、賛成! 神ぃ、いいこと言うじゃーん」
「その唐揚げ食うぞ沙奈」
「ごめんウソ! さすがです神谷様!」
学年別で分担するという意見には全員が賛成らしく、反対意見は出なかった。残るは最初に誰が審判をやるか――じゃんけんによる、真剣勝負だ。
こうしてお弁当を食べ終わったところで、女子は学年別じゃんけん大会を催したのだった。
「ぃやったあ!」
「ほんぎゃああ!」
「あー! 負けちゃったぁ!」
岩谷が歓喜の、生野と中田が悲嘆の叫びをあげる。一回りしか審判の役が先延ばしにならないとはいえ、まだ場数を踏んでいない二年生だ、その反応は当然のものだろう。
「あ、負けちった」
「はい神ぃ、一番決定~。さ、二番も決めとこーよ、めぐ」
「いいよー。じゃーんけーん……」
一方の三年生は、対外試合の審判役はもう慣れたもの。そのため、二年生のような必死さはない。とても和やかな勝負。結局、午後の最初の試合は私が主審を務めることになった。
やがてじゃんけん大会を終え、食べ終えたお弁当を片付けると同時に、私はオヤツ代わりのアレを出した。チョコレートとクッキーが大好きな私に必須な、カ○リーメイトだ。
むしろそれは主食だろうというツッコミは不要である。バナナはオヤツじゃなくてもカ○リーメイトはオヤツです。
「なぁ神谷」
「ん? なに、川中」
ここは本来、バスケットやバレーなんかの室内試合用の観客席であるため、席は会場をぐるりと取り囲むように並んでいる。もちろん階段状にたくさん並んでいるので、常盤二中は横一例ではなく縦にも広がり、上部に女子、下部に男子が陣取っていた。
その中で私の一段下に座っていた川中が、見上げるようにして声をかけてきたのである。
「それってみんな食べてるけどさ、そんなに美味いの?」
「ああ、これ? ……って川中、カ○リーメイト食べたこと無いの?」
「うん」
「あ、俺もー」
「って、かっちゃんもかい」
お前らどんだけ希少生物だ、というツッコミを何とか喉元に押し留め、私は下段に座る野郎どもをまじまじと眺めた。
なにせカ○リーメイトはオヤツとして(いや、他の人にとってはお弁当の一部か?)中学生には大人気、のはずだ。
毎回お弁当に持ってくるのは私くらいだろうが、部内で女子は勿論、男子も食べていたのを見たことがある。そのためお弁当とはいかなくても、家でも食べたことがないとはビックリだ。
「じゃあ、半分あげるから食べてみなよ」
「えっ、マジで?」
川中が少しばかり裏返った声をあげた。
……なんだよ、私はそんなに食い意地が張ってるとでも?
「ほら、かっちゃんも。食べるの? 食べないの?」
「あ、じゃあ俺も貰うわ。サンキュー」
「あんがとな、神谷」
「どーいたしましてー」
川中とかっちゃんがカ○リーメイトを頬張った。もくもくと咀嚼した結果、先に声を上げたのはかっちゃんだった。
「わっ、これうめぇ!」
「そう? 良かった。川中は?」
「あ、うん。美味い。あんがとうな」
「いーえー」
三年間の付き合いだ、もうこんなやり取りはいつものこと。
常盤二中は二つの小学校から生徒がくる。三年女子は私と同じ小学校の卒業生だが、男子は半々だ。
川中とかっちゃんはもう一つの小学校出身だったため、私も最初はそれとなく壁を感じた。が、今は同じ小学校出身の仲良くない男子より、二人はよっぽど近しい存在だ。
……なにせ三年間、竹刀でど突きあっているのだし。
「そうだ川中、男子の試合の感じはどう? 勝ち越してる?」
「Aは個人としちゃ半々くらい、Bはまあ……、って感じだな。女子は?」
「今のところは勝ち越し。全体なら三勝一敗だね」
「……。そうか、女子のがやっぱり成績いいのか」
水筒のお茶を飲みながら、川中が呟くように言った。
「なーにを言ってんの、お前は。男子と女子で比べんなよ」
「ん、まあ、そうだけどさあ……」
川中の言葉尻ははっきりしないが、何を言いたいかはすぐに分かった。
私たちの入部当初から、剣道部は常に女子のほうが好成績を残していた。
総体だけを比較しても、一昨年の女子は団体戦で県大会ベスト8、個人戦では全国大会に一人出場した。去年は県大会で団体戦ベスト16だったが、個人戦では再び全国大会と、関東大会出場が一人ずつ。他の大会でも数々の賞を獲得し、公立でありながら、県下でも屈指の強豪校といっても過言ではなかった。
一方で、男子は一昨年の団体戦で県大会出場が精一杯であり、個人戦は市内止まり。しかも去年は、男子部員がゼロ。成績は無であり、川中たちにとっては頼れる先輩がいなかった、ということでもある。
今年の女子は先輩たちの活躍に泥を塗る形になってしまい、本当に申し訳なく思っているくらいに、実力の低下が著しい。けれど、それでもいくつかの大会で上位入賞はしているし、団体戦の県大会出場は問題ないと思う。が、男子はそれすら危ういのだ。
「今年は男子、枠増えたじゃん! 去年、坂上中が全国行ってくれたおかげでさ。その三位枠に根性で喰らいつきなよ」
「ん、そうだな。それに、総体はまだ先だし、まずは今日の午後のことだよな」
「そのとーり。審判とか決まった? 女子はさっきじゃんけん大会だったけど」
「男子は午前中に全部決めといたから大丈夫。あ、けど念のためにローテ確認しとこう。――神谷、あんがとな」
「どーいたしまして」
そろそろアップの用意しよう、と川中がみんなに言ったのを合図に、ぞろぞろと全員が動き始めた。
やがて再び防具をつけ、午後の試合のためのアップを開始する。朝よりも少し軽めに済ませると、男子女子、それぞれの試合会場へと向かった。
「はじめ!」
主審の、私の号令で他校の選手たちが一斉に気合を入れた。右に赤、左に白の旗を持ち、選手を見やすいよう、常に動き続ける。副審を務める二年生たちはやはり緊張しているようだが、きちんと試合場を動きながら、選手を注意深く見守っていた。
審判をやっていると、選手の打突が決まった瞬間、感覚的に「決まった!」と反応することが多い。そのため、何の技が決まったのかが、分からないことが多々ある。手が旗を上げていても、その理由がわからない。何の技で取った、と宣言することが直ぐに出来ないのだ。だが、主審はそれをキチンと宣言するまでが仕事だ。一瞬で脳みそに仕事をしてもらわないと、かなり困ったことになる。
――さて、もう二分は経過しただろうか。膠着状態だった先鋒戦で、白の選手の引き面が見事に決まった。
(――!)
白の有効打突を宣言しようと、下げていた手を腰ぐらいの高さまで上げたが、咄嗟に引き面を無効とした。副審も中田は白を上げたが、生野は無効の宣告を、私と同じように旗を体の前方で左右に振ることで示していた。
その理由はありがいことに、今回はすぐに脳が判断してくれた。引き面は綺麗に決まったが、最後のキメが足りなかったのだ。どんなに踏み込みや声と打突が一致していても、残心がしっかりしていなければ一本にはならない。白の選手は技が決まった、そう思って気が緩んでしまったのだろう。
次の瞬間、無意識にも等しく、反射のように私の右手は高く掲げられた。
「――面あり、一本!」
気を緩めてしまった白に、赤の必死の追い面。三本の赤旗が、迷いなく上げられた。
(二中が総体で最も大事にしなきゃいけないのは、これだ)
最後まで、決める。最後まで、諦めない。
白が決まったと思っても、いや、白が決まっても。審判の宣言が告げられるまでの、その一瞬を逃さなければ、こうして三本とも赤に変わるときがあるのだ。
「二本目、始め!」
そして即座に上げられる白の旗。開始と同時に放たれた出小手。白も自分の過ちに気づき、赤が一本先取して、どこか安心して二本目に挑んだところを突いてきた。
「小手あり! ――三本目、始め!」
自分が試合をするときとはまた違う、この緊張感。その高揚に身を浸しながら、私は試合終了の音に従い、引き分けを宣言をしたのだった。