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兵の道  作者: 今尾実花
1/5

その1

 剣道を志す。

 私がそう決めたのは、十二の夏だった。



「おい、神谷! この竹刀、お前のだろ?」

「っあー、悪い。無いと思ってたら男子のほうに混じってたか……」


 朝練が終わり、道場から教室に向かおうとした、その時。急に後ろから呼び止められた。

 遅刻する! と怒鳴り返してやろうかと思ったが、言われた内容にそれは止めた。少なくとも恩人なので。


「はは。これ、使い込み過ぎて、せっかく書いた名前も読めねぇじゃん。もう柄を新しくしろよ」

「そうだねぇ……」


 あの節目の時から早二年と二か月。私、神谷葵は中学三年生になっていた。

 地元の公立中学に入学した当時、本当は弓道がやりたかったのは私だけの秘密だ。

 弓道なんて中学校じゃ滅多にない部活だから、同じ武道繋がりの剣道でいいか……。これが私の入部動機だ。現在、女子主将を務める身で、こんなこと今更言えない。


「神谷ー、そう言えばお前、今度の錬成会どうする? 生徒が自由に組んでいいとか、有り得ねぇよなぁ」


 この無くした竹刀を発見してくれた男子は、時に同じ悩みで頭を抱える仲間、部長の川中真だ。こいつは真面目好青年だが、いかんせん、真面目過ぎてどうにもならない。顔もそこそこなので、もうちょっと堅苦しくなければモテるだろうに。


「ああ、あれね。この前の大会と同じ順番でやるよ。女子は人数少ないし、怪我でもしなきゃ選手は変わらないから」

「そうかー……。男子は補欠との入れ替わりが激しいからなぁ。うーん、やっぱりこの前のメンバーを今回も採用するか」

「それがいいんじゃん? あとは適当にローテしてさ。大会じゃなくて練習試合なんだから、あんまし難しく考えんないほうがいいって」

「こら神谷。錬成会、だ。正しく言えよ」

「あーはいはい。私が悪うござんした」


 ちくしょうこの日本を極め隊め。この前も清少納言の言い方で文句つけたよな。『清少納言は清原の少納言だから、セイショウ・ナゴンじゃなくてセイ・ショウナゴンだろ』だと。心底どうでもいいわ。だからモテないんだばーか!!


「一年がちゃんと覚えないぞ!」

「大丈夫、この前かっちゃんも練習試合って言ってた。私だけじゃなーい」

「はぁ!?」

「あっはっは、それじゃあまた午後練で!」


 川中の親友で副部長の勝田(通称かっちゃん)を引き合いに出し、私はこの不毛な会話に終止符を打った。かっちゃんの名前を出せば、大抵は話が収まる。かっちゃんさまさま、彼は神様。

 短いおしゃべりとはいえ、剣道部はぎりぎりまで朝練をやっている。さすがに本気で遅刻しそうになり、少し駆け足で教室に向かった。一年の頃は一番遠い校舎のうえに四階だったため、毎朝が猛ダッシュだった。冗談抜きで、あれはいい体力作りになった。

 しかし今は昇降口の斜め横が我がクラス。ああ三年生って素晴らしい。

 鍵当番を川中に押し付け――朝は教室が近いので、最後まで残ってた三年生の役目。午後練では一年の当番制である――私は早々と授業の用意に取り掛かったのだった。




 昼休み、外で遊ぶでもない私の、専らの生息地は図書室だ。体育会ど真ん中の部活で、主将まで務める私だが、趣味は読者である。もちろん漫画を含む。だって中学生だもの。

 ジャンルは大体何でもオッケーだ。だけど児童書とかファンタジーが一番好きで、定番の眼鏡な魔法使い少年や、指輪な物語なんかがいいネ。あと精霊とか守る人。アニメ&実写で映画化も多いのは嬉しいけど、むしろ最近の映画、既出の人気本に頼り過ぎじゃないか? と本気で思う今日この頃。


「あれっ、かっちゃん」

「お、神谷。お前も本よむの?」

「悪いがそれはこっちのセリフだ。かっちゃんの姿はこの三年間、一度も図書室で見てないんだけど」

「だって俺、本なんて読まねーもん」


 この見事に言いきった野郎は剣道部副部長、勝田博だ。川中よりはマトモだけど、親友なだけあって似た傾向がある。あの清少納言発言の時も、部員の中で一人だけ、深く同意していた。このペアに拳骨食らわせたいと何度思ったことか。


「……で、探してるのは何? 剣道の解説書は無いよ?」

「えっ、マジで!?」


 図書室なのに!? とか言うなこのヤロー。私という図書委員長の前でいい度胸だ。公立中学のしょぼい図書室にある本なんて、たかが知れてるわ。


「てゆーか、何で俺が解説書を探してるの分かった!?」

「この前、部活で昇段審査の話があったからね。ま、分かったっつーか予測で言ったんだけど……」


(しかもお前が今、「俺、本なんて読まねーもん」とか言ったんだろうがぁああ!! そしたら探し物がコレ以外であったら驚きだわ!)


「ふーん……。あー、けど無いのかぁ……」

「市の図書館に行くか買ったら? 前に本屋で立ち読みしたけど、八百円くらいだったよ?」

「そうなんだ? じゃあ今度本屋行ってみる。ありがとな」

「どういたしまして。じゃあね」

「おう」


 一年の頃は、私は川中や他の男子部員二名と同じクラスだった。けど、今は違う。

 そのため稽古の時間以外では、クラス替えをした時から、滅多に男子とは顔を合わせない。その間に何か、男子は大きく変わってしまった気がする。


「神谷さん、ちょっといい?」

「あ、佐藤先生」


 図書委員の顧問、佐藤先生。その微妙な笑みに、きっと何か仕事を頼まれるな、という予感がした。本は大好きなので委員会の仕事はお任せを。けど、雑用はご勘弁です。

 そしてこの予感は、見事に的中したのであった。……チクショウ昼休み潰れた。




 やがて六時間目を終えると、帰りの会と掃除をマッハで済ませて部活に向かった。終末は錬成会だし、来月には――。


「総体だもんね」


 つい独り言を言ってしまったが、それも仕方ないだろう。

 総体――総合体育大会は毎年夏に行われ、運動部生徒の最後で最大の大会。最高の目標。勝ち抜けば全国大会に出られるのだから。


「失礼します!」


 その大会に思いを馳せつつ、私は道場に入ったのだった。

 ただ、稽古が始まると、あまりのキツさに、そんなことは吹っ飛んでしまうのだけれど。

 ああ、神様。もしも願いを叶えてくれるなら。優勝なんて望まない。これでも分は弁えているから、馬鹿な夢など見ない。ただ、悔いだけは残したくない。だから全力を出し切れる機会をください。


「――ありがとうございました!」


 中学最後の夏。この時期、日没は遅い。あのお決まりの音楽を稽古終了の合図に、今日も日暮れ前に一日の活動を終えたのだった。

 稽古の後は、更衣室で着替えを済ませる。飲み物に加え、制汗剤は女子の必須品だ。


「あー、今日も疲れたねー」

「あ、生野の制汗剤、新しいやつじゃん!」

「へっへー、新商品! この前CM見たからさぁ」


 どのメーカーの商品を使うかが、剣道部女子の、唯一のオシャレのようなものだ。きゃっきゃと騒ぐ二年生は、この室内で一番元気があると思う。

 私たち三年生は総体が気になって仕方ないし、一年生は稽古がキツくてそれどころじゃない。あの何とも言えない疲労感たっぷりの表情は、身に覚えがある。

 ただ、この二年生の元気が総体での頼りだ。今の三年生は女子の数が少なく、三人しかいない。剣道の団体戦は五人で行うので、必然的に二年生から二人の選手が選ばれる。


「神谷先輩、先輩って何を使ってましたっけ?」

「ん? 私はこのメーカーだよ」

「あ、私とおんなじだー!」

「生野先ぱーい、先輩の制汗剤、貸して下さいよぉ」

「いいよー!」


 その二年生に加え、一年生も三人しかいないことが女子代表の悩みの種ではあるものの……。

 総体は、悔いなくやりきれる。何故か、こんな時に確信した。神に改めて祈る必要などなかった。三年間に悔いはあっても、最後に悔いを残すことはないと。

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