不必要な契約
沈黙で、布の擦れる音だけが聞こえる。
「この宝石にちょっとだけ血を垂らしてちょうだい」
私の上で話しているのだけが分かる。
「この汚いモノに長く近寄っていたくないから早く終わらせてちょうだいね」
そう言って母の気配が少し遠のく。確かにしばらくお風呂に入らせてもらえてないから多分臭うと思う。
「……ごめんねレイ、こんな事させて」
「……ごめんなさい。絶対に助けますから……!」
小声でレイが答えてくれる。それと同時に首元に何か妙な感触がある。そして、彼女が手元の何かに血を垂らすと何かが体中をまさぐる感覚が発生した。
「終わったみたいね。レイリーン、その指輪を付けて力を込めてみなさい」
「……はい」
小さな声で答えたレイの声を聞いたと思ったら体が動かなくなった。と思ったら体を何かが這っていく気がする。そして指先足先まで何かが這ったと思ったら手首がいきなり曲がった。
「っぁ……!?」
激痛で声が出なくなる。私の意思に反して手首が曲がる、いや折れると言った方がいいかもしれない。
「うん。成功みたいね」
「ね、姉様……!」
私の様子を見てレイが顔を近づけてくれたと思ったら手首の代わりに今度は首が締まった。
「レイリーン!だから姉と思うなと……。それに、貴女がそうするとこれはさらに苦しむわよ」
「う、嘘……」
よろよろと離れていく妹。
「ほら、もう行くわよ。いい加減臭うし。それには水でもかけてパーティーの日まで閉じ込めておきなさい」
そう言って彼女たちの気配が遠くなっていく。
兵士に掴まれていつもの部屋に戻る前に水場に連れていかれて頭から思いっきり水を掛けられる。いきなりすぎてびっくりしたし冷たい水だったのでとても寒い。それを何回か繰り返された後、適当な余り布を放られてそれで体をふく。この家じゃ私の人権なんてカス同然だ。びしゃびしゃになった服は別のぼろ布に変わった。結局ぼろ布だ。もちろん髪を乾かすことなんてできないしこんな小さい余り布じゃ体をふき切れない。
部屋に戻ると鏡の前に行って自分に何を付けられたのかを確認する。
「うわ、なにこれ……」
いつもよりひどくぼろぼろな私は一旦置いておいて、胸の下に真っ赤に染まった宝石がついた黒いベルトが追加されている。さっき体を這う感覚は何だったのだろう。体に変な痕もついていないし不気味だ。
「へくちっ」
可愛いくしゃみが出た。そう言えば心なしか悪寒がする。体が一気に冷えたからだろうか。とりあえず時間はあるし寝て治すしかない。いつもより早いが疲れたしベッドに潜る。そう言えばパーティーまで閉じ込められるということはあれから考えるとあと数日と言うところだろうか。
次の日からは、メイドが起こしてくることもなくなった。もう私を呼びに来る人間もいないからだ。目が覚めたときには視界がぼやけていた。いつものようにあくびの涙でぼやけるのではなくて頭の痛みでぼやけている。
「嘘でしょ……頭痛すぎる……」
更に熱があって思考がうまくまとまらない。こほっこほっと咳をして体を起こす。メイドは相変わらず無表情でこちらを見ている。
「……水を貰えるかしら」
「かしこまりました」
しばらくしてコップ一杯の水が運ばれてくる。ついでに粗末な朝食も。
「お休みになっている間に朝食が運ばれて来ておりましたので」
「……ありがとう」
正直今のこの体調ではあまり食べたいものではないが食わねば今よりひどい体調になってしまいそうだ。いつもの倍の時間をかけて硬いパンを食べきる。
起きてるだけで辛いからすぐに横になることにする。時折首元や胸の下が苦しくなることがある。妹との距離によって首元の苦しさが変わってくる。時間が経つごとに気持ち締まりが強くなる。本当につらい。
「二人に会いたいわね」
ぼそりと呟く。
「無理ですよ」
すぐに応答が返ってくる。無機質な声。
「……知ってるわよ」
そうしてまた眠りにつく。
そんな生活が二日続いた。風邪はひどくなるばっかり。食欲もなくなってくるし負のループに入ってきた気がする。前いたところでもこんなひどい風邪を引いたことはない。
そんなことを考えながらぼーっとしていると頭の中に声が響いてくる。
(マスター。聞こえますか?)
(イオナ?どうしたの珍しい)
(良かった。ご無事ですか?)
(まぁ、生きてはいるわ)
(なるほど。今はどちらに?)
(母の別荘よ。端の部屋に放置されてるわ)
(かしこまりました。お迎えに参ります)
「えっ?」
「どうかされましたか」
「……なんでもないわ」
お迎えに参りますという言葉にびっくりして少し声が出てしまった。いったいどういうことだろうか。と言っても今更救われたところで妹と会うことができないしもうどうでもいい。
しばらくして下の方から怒鳴り声が聞こえる。今日は母も妹も家にいるはずだから喧嘩でもしているのだろうか。妹が私のことをしゃべってまた叱られていたら嫌だ。更にかすかにだが窓の割れる音や金属音が聞こえてくる。
「……うるさいわね。いったい何しているのかしら」
「確認してまいります」
そう言って彼女は扉から外の様子を確認する。
「止まれ!何者だ!」
「皆殺しでも構わん!侵入者を撃退しろ!」
少し開いた扉からそんな物騒な声が聞こえてくる。貴族の別荘に侵入者、それもこんな真昼間になんて大胆な人もいたものだ。
「今襲われたら私、死ぬわね……」
多分彼女は私のことを守ってなんてくれないだろう。そんな命令も受けていないはずだ。