想定外の手段
久しぶりに姉様の声を聞いた。頭から流れる血を押さえながら少し懐かしい気持ちになった。別に仲のいい姉ではないが母程わたしを嫌ってきているわけではない。もちろん好かれているわけではないから助けてくれるなんて微塵も期待なんてしていない。
学院に先に入学しているから母のことを訪ねてきたのだろう。と言うか母は姉にも王都に来ることを連絡していたということは兄もここを訪ねてくるのだろうか。と考えていたら頭がくらくらしてきてベッドに倒れ込む。肉体的にも精神的にもそろそろきつくなってきている。
「姉様が来たからって、変わるわけないわね……」
ベッドに横になって少しでも楽しいことを考えようとする。だが、考えれば考えるほどむなしい気持ちになる。
「どうしようかしらね……本当に」
イオナに助けを求めてもいいがいつも頼りっぱなしでは良くない癖がつきそうで怖い。いつか見限られてしまったら本当に泣いてしまう。あの子たちに限ってそんなことはないと思いたいけれど。
「はぁ……」
ここに来てから何度目のため息だろう。何かを考えていても堂々巡りになるし疲れるだけだ。もう寝よう。目を閉じてしばらくすると意識が闇に落ちていった。
そして、体を揺すられて目を覚ますとずっと無表情で部屋にいたメイドが枕元に立っていた。
「……えっ!?」
普段は絶対にありえない光景を見て、ぼやけていた意識が一瞬でクリアになった。あのメイド、ちゃんと動くのか。驚いた。
「お呼びです」
本当にピクリとも眉を動かさず必要な情報を伝えてくる。朝ごはんを食べずに着の身着のまま部屋を出て、いつもの通り兵士に連れていかれる。外はもう朝じゃなくて昼になっていた。こんな時間まで寝られるなんて久しぶりだ。
「……辞める気になった?」
「いえ」
開口一番いつもの押し問答。
「はぁ……連れてきなさい」
その言葉を合図に隣の部屋から誰かが連れてこられる。顔を上げるのを許されていないので誰が来たのかはわからない。
「ミ、ミア様……」
「ミア……」
久しぶりに聞いた従者の声。私のこんな姿、あんまり見せたくはない。主人がぼろぼろになっているなんて格好もつかないし、不安感を与えてしまう。
「ネイ……?セイラまで……」
二人ともとりあえずは無事そうでよかった。軟禁されている時点でよくはないが。
「お前も、勝手に家を出てずっと一緒にいるとは思わなかったけど……」
少し憎々しげにネイを見てそう言う。そう言えば彼女もわたしについてきた時、母の許可を得ていたなんて聞いていなかった。私の許可だけで来ていた気がする。
「二人に手は出さないで……ください」
「それはお前の態度次第よ。さぁ、早くこれに記名しなさい」
目の前に通信書と紙が出される。何度も見た入学辞退届だ。
「それは……」
「書かないなら……こうよ!」
ネイの頭をいつもわたしを叩くように叩く。額から血を滴らせて痛そうにする彼女。言葉も発さずに我慢しているみたいだ。
「これでも書かないならこっちの娘にも何をするかわからないわよ」
「そんな……」
セイラが怯えた目で私と母を交互に見ている。それはそうだ。いきなり友人の家に連れてきてもらったら軟禁されてぶん殴られそうになっているのだから。怯えないほうがおかしいというものだ。本当に申し訳ない。二人にはあとでしっかりと謝罪をしなければなるまい。
「ほら、早く書きなさい」
そして、また何も一言も発さずに抵抗しているとバシッという音がする。ネイがもう一回殴られている。
「ミア様……どうか耐えてください!私は大丈夫ですから……!」
「あの化け物に似てうるさいわね……!」
彼女がわたしに言ったその言葉が更に母を怒らせて暴力をエスカレートさせる。彼女も私も何度も殴られる。
「ミア……」
セイラが不安そうに、か細い声で私の名を呼ぶ。
そしてしばらくしてさらにネイが数発殴られたところで私の中で何かが折れた。二人の目の前の血だまりを見て抵抗する気が消えてしまった。
「……わかりました」
「何て?」
「学院に入学するのは……辞めますから、どうか二人を解放してください……」
珍しく目から涙がこぼれてくる。こんな私にも流せる涙が残っていたなんて。
「……フン。だったら早くそこに書きなさい」
二つの書類に早く書くように促される。
「……はい」
書類に震える字で書き終わると母は満足そうに回収した。そして兵士が後ろから首輪のようなものを付けてくる。
「これは……」
「隷属の首輪よ。お前が二度とレイに近づけないようにこれをつけるわ」
「……隷属」
旅の途中で聞いたことがある。主人の血の一滴と法力によって強い主従関係を結ぶことができる首輪だ。それを利用すれば二度と近づけないようにできるらしいとも。
「もし近づけばこうだからね」
急にぐぐぐっと首輪が締まる。息ができない。苦しい。声を出そうとしたけれど全くそのような音は出ない。
「ミ、ミア様……!」
ネイがわたしを心配して悲鳴のような声を上げる。ぼやけた視界で見上げると、その様子を見た母はニヤリと笑っていた。と思ったら急に首輪が緩む。
「はぁ……はぁ……」
「儀式は明日よ」
そう言うと母は自分の部屋に戻って行った。彼女の姿が見えなくなったところでいつもより乱暴に、引き摺るようにまた部屋に戻される。ネイもセイラも不安そうにこっちを見ていた。