はじまり
私、綾女深巫は元来人と付き合うのがめんどくさい人間だ。
もちろん誰とも付き合わないわけではないし、最低限少しの友人はいた。やりたいことをやって平和に生きていければそれでいい。
ただ人間関係に対して怠惰なだけで心を切り替えれば人と幅広く付き合うことだってできると自分に言い聞かせている。これまではこのめんどくさがりな性格でも学校という社会では生きていくことができた。学校生活楽勝。付き合いたい人と付き合って趣味を楽しむ事だけしてればいい。特に心を切り替える必要もない。これからだってうまくいく。そんなふうに驕っていたからだろうか。
――高校生活でそれは崩れた。
本当、あっけないものだった。一言で全てが終わってしまうのだから。
でも、縁を切って一からやり直せる。そんなふうに神様に願ったからだろうか。
目が覚めると白い空間だった。本当に白い空間としか言いようのない上下左右どこを見ても真っ白な場所だ。
おかしい、私は神社でお祈りしてからホテルで寝てたはずなのに。
体をうまく動かせないし目線を動かしても誰も見えない。
しかし突然後ろから何かが顔に触れてきた。
『あらあら、もうこっちへ来てしまったのね。少し早すぎないかしら』
口を開きたいが全く動かない。
『困ったわね……あの子の依頼もあるし……まぁ私がちょっと手伝ってればあの子が戻って来るまで保護してあげればいいかしら。どうせ暇だし』
『頑張ってね、お嬢様。良縁を』
少し楽しそうに一方的に話しかけてくる。手が離れたと思うと一気に瞼が重くなった。
次に目が覚めると見知らぬ天井があった。明らかにホテルの天井ではなかったし、家の天井でもない。そしてベッドも明らかに今までで最高にふかふかのものだ。右を見ても左を見ても全く見たことのないものしかない。ここはどこだろうか。
口を開いて何かをしゃべろうとしてもいまいちしっかりとしゃべることができない。
起き上がろうとしても視線があまり高くならない。そして周りのものが明らかに大きい。自分の手を見てみるとどう考えても小さい。どうしてしまったのだろうか。
そんなことを考えているとメイド服を着た人間が部屋に入ってくる。
「あら」
メイド服だ。あの。普通に生きていたらメイドカフェか文化祭くらいでしか見ることのないあの、メイド服である。
「ミアリーン様、お目ざめになりましたね~」
ミアリーン、と言うのが私の名前らしい。誰だ。私には深巫と言う名前があったはずだが。そのメイドは手慣れた様子で衣服を着替えさせて私に食事を食べさせる。飲ませると言った方が正しいだろうが。何年ぶりだろうか、乳を吸うのは。
どうやら私はどこかのお金持ちの赤ん坊になってしまったらしい。意味が分からない。なぜ赤ん坊に?途中で聞こえてきた謎の声のせいだろうか。昨日、縁切り神社でお祈りした効果が出たのだろうか。だとしたら私の方があちらの世界から縁切りされてしまったのか。
全く意味が分からないが赤ん坊ではどうしようもないのでしばらくは食う、寝る、聞くと言う事に集中するしかないだろう。とても手持ち無沙汰になりそうだ。
まぁ昨日までの生活よりはずいぶん安全そうではある。頭からバケツの水を掛けられたり、体操服の一部が切られたり、人の盗撮が知らない場所で売られたりおじさんに追いかけられたり、大事なものを傷つけられることなんて赤ん坊であれば体験することもないだろう。
ただ、大好きな妹に会えないのだけが寂しい。
そうして別世界に生まれ変わった私。
すくすくと成長して6年がたった。
この年である程度のことはわかった。縁切り神社で縁切りを願って、ホテルで寝た後神さまにこの世界に飛ばされてしまったようだ。
この世界で私が生を受けたこの家はラスティナ家と言われる中流貴族で父と母と6人姉弟だ。そしてこの家の所属する国はプリミーティメンタ王国という国であり、ほかにも国があるらしい。魔法や航空艦と言う技術や魔女や魔族と言うものもいるらしい。この年になると専属の教師がついて一般的な教養について教えてくれる。
「良いですか、ミアリーン様。航空艦というものは法力で動いています。そのため、大変高価なものになりなかなか個人で所有される方はおりません。それゆえ、人や物を運ぶのに使いたい人々は集団で艦を買って、使っているのです」
前いた世界よりは技術が全体的にしょぼい印象はあるが魔法や航空艦など優秀な技術もまた存在している。魔法を使うには法力と言うものが必要らしく、妹は特に優秀らしい。
「そして噂では神域戦争、つまり大昔の技術で作られた航空艦もあるらしいのですよ、お嬢様」
「見つかってはいるの?その航空艦は」
「いえ、ほかの武器などは見つかっているのですが航空艦はいまだに見つかっていないようです」
神域戦争は本で読んだことしかないがうん百年うん千年も昔にあった神の力をめぐる魔族と様々な国同士の戦争らしい。
「ねーさま!お出かけの時間だよ!」
「レイ……」
「もうこんな時間でしたか……」
私のお付きのネイと妹が部屋に入ってきて私の教師が今日の授業の終わりを告げてくれる。
「先生。今日もありがとうございました」
「お疲れ様です。ミアリーン様」
後ろから声をかけてきた黒髪のかわいい子が妹のラスティナ・レイリーンだ。前いた世界と同じくこの世界でも私には妹がいるようだ。しかもとびきり可愛い。
家族としては父親ともう一人の仲のいい家族である。いつも一緒に居てくれるいい子だ。私と違って人と関わるのが得意なようで友達が多いし、周りからの評判がいい。そして時折父は、航空艦や馬車などを使って私たち姉妹を保養という名目で様々な土地へ遊びに行かせてくれる。
ほかにも姉が一人と兄が二人いるが、母親と同様私との仲はよろしくない。
「長姉様、次兄様行ってまいります」
廊下で出会った長姉と次兄に挨拶をする。妹と一緒に居るから嫌味を言われることはないがあからさまに不機嫌になる。
身内と仲が良くなくても辛くないと言えば嘘になる。姉や兄は多分そんなこと思っていないだろうけれど。母にはなかなか逆らえない父だが、精一杯私が楽しく過ごせるようにとの気遣いで保養に送り出してくれるのだろう。実際妹とお付きとだけで過ごしていた方が気を張らなくていいので楽だ。
「早く行こ!ねーさま!」
「行くから待って……!」
そんな妹と今日は帝国との境界に近い港町に行く。もちろん二人だけじゃなくてそれぞれのお付きと言うか世話係のメイドと一緒に行く。私のお付きのネイは私が生まれた頃から身近にいてくれて、とても私のことを大事にしてくれている。年は9~10歳程離れているからちょっとした姉のような感じでもある。私が階段を踏み外した時には私が怪我をしないように抱き締めて、階段を転げていったこともあった。見えないところでも私に対する害意を排除してくれているみたいで、それに報いることができるのか時折不安にもなる。
「ミア様、レイ様、こちらに馬車をご用意してあります」
ネイが私たちの手を引いて馬車まで案内してくれる。
「お艦はここにないの?」
妹がネイにふと尋ねる。
「レイ様、当家は航空艦を持ってはいないので港まで馬車で移動します」
「そうなんだ?」
分かったんだかわかってないんだかわからない返答をして一緒についてくる。家の門の近くにレイのお付きのオーバが馬車を用意して待ってくれていた。
「ささ、お乗りください」
脇から抱えてもらって馬車に乗せてもらう。
「久しぶりのお出かけ楽しみだね、ねーさま!」
「ね。海は久しぶりだし」
ゆっくりと馬車が動き出す。しばらく窓の外を眺めながら街の中を通っていく。街中に行くことはめったにないから一度見回ってみたい気持ちもある。
数刻ほど経っただろうか。一番近い港に到着する。
「いっぱいお艦飛んでるね!」
「お嬢様、こちらですよ」
オーバが馬車を預けてから乗る航空艦の元まで案内してくれる。
「……おっきぃ!!」
「ほんと大きい……」
目の前にはいつも乗る艦より大きそうな航空艦が鎮座している。
艦の大きさに驚いている間にオーバが搭乗手続きを済ませてくれる。
「お嬢様、お部屋の準備ができましたよ。そちらの景色も素晴らしいようですわ」
「楽しみ!早く行こ!」
いい景色と言う言葉に夢中な妹はオーバを引っ張るように走っていく。可愛い妹を微笑ましく思いながら見失わない程度に追いかけながら部屋へ向かう。
最上階の部屋だったようで少し階段を上るのが大変だったが、部屋を見てみると高級な調度品が程よく置かれている。
「どれくらいの時間で着くの?」
「2日ほどで着くそうです」
「じゃあゆっくりできそうね」
「ねーさま!景色すごい綺麗だよ!」
窓に張り付いている妹がこちらを呼んでくる。
窓から下を眺めるとさっきまでいた町がどんどん小さくなっていって、薄い雲の中に艦が突入していく。
「今日のお艦はいつもより立派だね!」
「お父様に感謝しないとね」
「ね!」
実際の楽しい休暇はやはり現地に行ってからなのだろうが、こうやって移動している最中も案外ワクワクするものだ。
「甲板に出ることができますがいかがされますか?」
「あとで出てみたいかな」
「行く!」
「かしこまりました」
一旦ネイの淹れるお茶を飲みつつ一息ついてみる。
「ねーさまってお茶飲むの好きだよね」
となりに座ったレイが私の顔を覗きながらつぶやく。
「ネイのお茶はなんか落ち着くのよ」
「ふーん」
しばらく窓の外を眺めた後、甲板に行くことにする。
甲板へ行く途中数グループの客を見たが、誰も彼もいかにもなお金持ちだ。
甲板につくと周りには数人の人しかいなかった。
「ひろーい!」
「程よい風が気持ちいい……」
いつも乗っている艦より大きい分甲板も広くなっていた。妹はオーバに抱っこされながら甲板外の景色を眺めている。
「ネイ、私も見てみたいな……いい?」
両手をネイに伸ばして抱っこをせがんでみる。
「もちろんですよミア様」
抱っこしてもらって甲板の縁の下を見ると山や街、街道を動く人の影が小さく見える。
「高っ……!」
何度見てもぞわっとしてしまう。が、しばらく見ていると慣れてきて人の動きを目で追ってしまう。
「ミア様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫!」
低い位置を浮かぶ雲の流れで人が隠れてしまった。
「ちょっとだけ雲が邪魔だなぁ」
「流石にミア様でも天気にはかないませんね」
「そうね、ありがとう。降ろしていいわ」
ネイに甲板に降ろしてもらってまた辺りを見回す。さっきよりも人が増えてきた気がする。
「一旦戻りましょうか、ミア様」
「うん」
航空艦は海と違って風の影響を受けにくいため、予定通り二日ほどで港町ライバークに到着した。
「着きましたよ、ミア様、レイ様」
艦の外に出て外を見てみると、潮風がぶわっと体をなでていく。
「海の匂い……」
「日差しが強いですから日除けをいたしましょう」
そう言って日傘をさしてくれる。
「では、参りましょうか」
ネイが先導して宿泊先まで連れて行ってくれる。